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2009年02月28日(土) 03時04分

証拠から被害者の言い分くみ取る、判断重ね極刑やむなし読売新聞

 「単なる友人関係ではなく、(被害者の女性とは)お互いに愛し合っていた」。2000年12月から浦和地裁(現・さいたま地裁)で始まった裁判で、中国人の薛松(せつしょう)被告(35)はそう述べた。

 「夫のいる被害者に求婚したが断られ、被告は絶望のあまり、激しい興奮状態に陥り、判断能力が著しく減退していた」。神山祐輔弁護士(64)は、犯行時の責任能力を争点に据えた。

 同年9月に埼玉県春日部市で中国人夫婦が殺害された事件。審理を担当した同地裁の川上拓一裁判長(62)は、検察側から証拠提出された遺体写真を裁判官室で何度も見た。2人ともサバイバルナイフで首を大きく切り裂かれていた。「命を奪われた被害者は、生きている被告の言うことに何も反論できない。客観的な証拠から被害者の言い分をできるだけくみ取っていく」と心に決めた。

 被害女性(当時29歳)と薛被告は、同じ筑波大の大学院生だった。女性の知人は法廷で証言した。「被告から好意を持たれて、困った様子でした」。別の知人の供述調書にも同様の記述があった。川上裁判長は「被告と女性が交際関係にあったことを示す証拠は何もない」と確信した。

 被告は犯行前、スポーツ用品店でサバイバルナイフを2本購入。女性と夫(同39歳)を車ではねてから刺すという計画を立て、実行に移している。冷静な判断力を持ち、着実に目的を果たそうとする強い意志が感じられた。

 02年2月、地裁判決は死刑。被告は最高裁まで争ったが、07年に確定した。「被害者に何の落ち度もない。計画的犯行で被告に責任能力もある。一つ一つ証拠を判断した積み重ねが、極刑という結論になった」。現在、早稲田大法科大学院教授の川上氏は、裁判長として初めて言い渡した死刑判決をそう振り返った。

          ◇

 07年4月、東京高裁の高橋省吾裁判長(66)は、2週間後に言い渡しを控えた判決文を裁判官室の机の引き出しにしまい、かぎをかけた。時間をおき、判決直前に冷めた頭で最終確認をする。通常の事件は1週間ほど、重大事件はそれより長めに寝かすことにしている。今回は、1審判決が無期懲役の事件だ。

 過去に7回服役した熊谷徳久被告(68)は、出所翌月の04年5月、横浜市で中華料理店経営者(当時77歳)の顔面に拳銃を押し付けて射殺し、現金約40万円を強奪。6月には東京メトロ渋谷駅で、売上金を奪うため、男性駅員を銃撃した。

 「被告にとっては誠に幸いなことであるが、死亡した被害者が1人にとどまっており……」。東京地裁判決は、死刑回避の理由をそう説明していた。

 最高裁刑事局長も経験した高橋裁判長は「刑事裁判というのは、被告の行為に見合う責任を判断することに尽きる」と思っている。

 事件当時、32歳だった駅員は右足が動かなくなる後遺症を負った。2件の犯行とも、至近距離から拳銃を発射している。「死者は1人でも、限りなく2人殺害に近い。拳銃を使った残虐さも見逃せなかった」

 07年4月25日、東京高裁が死刑判決を出すと、翌日、被告側は最高裁に上告した。

 昨年1月に退官し、山梨学院大法科大学院教授を務める高橋氏は、「いったん無期とされた被告に、死刑を言い渡すのは重かった。だが、死刑を選択せざるを得ない事件はある」と語る。約8年10か月にわたった東京高裁裁判長時代に死刑を選択したのは7人。このうち熊谷被告を含む2人は、1審の無期懲役を破棄した判決だった。(肩書は当時)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090228-OYT1T00090.htm