太平洋ビキニ環礁で1954年に行われた米国の水爆実験で被曝(ひばく)、半年後に死亡した、マグロ漁船「第五福竜丸」無線長の久保山愛吉さん(当時40歳)のものとみられる体組織の病理標本が、広島市の広島大原爆放射線医科学研究所(原医研)に保管されていることが27日、わかった。
見つかったのは乾燥した組織片4、5個や、組織を収めたプレパラート35個で、英語で「日本の漁師」と書かれた紙片もあった。
調査した広島市立大広島平和研究所の高橋博子講師によると、標本は久保山さんの死後、米国に送られたが、68年に日本側へ返還された。米国の公文書では、久保山さんの標本が広島の原爆被爆者の標本と一緒に整理されており、原医研で、久保山さんのものと同じ登録番号の標本が見つかった。
久保山さんの死因が被曝によるものかどうかで日米の見解が分かれており、今後、標本の分析で死因が解明される可能性もあるという。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090227-OYT1T00566.htm