1954年にビキニ環礁近海で米国の水爆実験に遭遇、「死の灰」を浴びて被ばくし、半年後に死亡したマグロ漁船「第五福竜丸」無線長、久保山愛吉さん=当時(40)=のものとみられる病理標本が、広島大原爆放射線医科学研究所(原医研、広島市)に保管されていることが26日、分かった。
この標本は米軍の研究機関が68年に日本に返還していたことも判明。久保山さんの死因をめぐっては、「放射能症」とする日本と「輸血による肝炎が悪化した」とする米国とで見解が異なっており、「標本を最新技術で分析すれば、真相解明につながる可能性がある」と研究者も注目している。
標本を保管していたのは、原医研の付属施設「国際放射線情報センター」。乾燥した組織片が真空パックに入れられ、「JAP Fisherman(日本人 漁師)」と書かれた紙片があった。顕微鏡で見るための脳の組織など35枚のスライドも見つかった。
日本での解剖時に米軍医を通じ組織片を入手、極秘調査した米軍病理学研究所(AFIP)が付けた久保山さんの登録番号「259900」も記されていた。
広島市立大広島平和研究所の高橋博子講師(米国史)が今月、久保山さんの組織を68年10月に日本側へ返還したとの記録をAFIPの公文書館で新たに発見。原医研側も標本について「久保山さんに間違いないだろう」としている。