市長のリコール(解職請求)に発展した千葉県銚子市立総合病院の休止問題で、岡野俊昭市長が26日までに共同通信のインタビューに応じ「医師が誰も残らず、病院崩壊まであっという間だった」などと医師流出に苦悩した日々を証言した。
リコール後、報道機関のインタビューに応じたのは初めて。市長は「わたしが一番病院を残したかった」と無念さをのぞかせる一方、「市を存続させるための選択だった」と持論を繰り返した。
また、国の「臨床研修制度」の影響で、日本大学による派遣医師の引き揚げがやまず、休止直前まで堂本暁子県知事と連絡を取りながら医師の手当てを模索したことも明かした。
岡野市長によると、病院存続を公約に当選した8カ月後の2007年3月ごろから引き揚げが本格化。ピーク時に39人いた常勤医師は08年4月には13人まで減少し、医師を募った市の「医師情報ホットライン」の電話は1度も鳴らなかったという。
休止4カ月前の5月、病院の経営難を聞き付けた堂本知事から岡野市長の携帯電話に「病院はつぶれないか」と問い合わせがあり、2人は4日後に会談。市長から「どうしても病院を残したい」と伝えたところ県も乗り出し、日大や近隣の中核病院に医師の派遣を頼んだが、断られたという。
岡野市長は7月4日、病院の副院長から「残る医者が誰もいない」と告げられ「市が(生き)残れば病院はいつか再開できる」と判断、9月末の休止を決めたと強調した。
市長は「全患者の新たな引受先を確保した。“医療難民”は出ていない」と主張した。