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2009年02月25日(水) 16時31分

江戸期の「竹島」記した文書中国新聞

 「竹島を朝鮮国へ渡した」との記述が誤解を招いている江戸時代の文書「御触書御請印帳(おふれがきおうけいんちょう)」が、浜田市久代町の石見安達美術館で展示されている。当時、日本が現在の韓国・鬱陵(うつりょう)島を「竹島」と呼んでいた証しの一つ。同美術館は「実物を読んでもらい、『竹島を渡した』事実はないことを理解してもらう」として、ほかの資料と3月末まで展示する。

 同文書は、鎖国下にもかかわらず鬱陵島などに渡って密貿易をしたとして浜田の八右衛門が処刑された翌年の1837年に浦奉行所で書かれたらしい。海外渡航をあらためて禁止する幕府のお触れと、現在の浜田、江津両市の8漁村の代表(浦年寄り)の署名がある。

 文中に「(竹島は)元禄之度朝鮮国え御渡」との記述があるため誤解されやすく、昨年末も韓国の新聞が電子版で「日本が竹島を朝鮮領だと認定していた」と報道した。所有する同美術館は「当時の日本では竹島は鬱陵島を指しており、文書に書かれた竹島は現在の竹島のことではない」としている。展示は2007年に次いで2度目となる。

【写真説明】鬱陵島=「竹島」と表記=へ渡ることを禁じる浦奉行の文書(中央)。奥は岡田頼母の絵

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200902250042.html