朝日新聞阪神支局襲撃事件など一連の警察庁指定116号事件を巡り、2月26日号まで4回にわたった週刊新潮の連載に対し、朝日新聞が23日朝刊で真っ向から反論した検証記事は、発行元の新潮社の責任を厳しく指摘する内容だった。
「実行犯」を名乗る島村征憲(まさのり)氏(65)の手記を、週刊新潮は、どのような裏付け取材を経て掲載したのか——。識者は「当事者の朝日新聞に疑義を示された以上、週刊新潮には再検証を行い、それを説明する責任がある」と指摘している。
23日の検証記事では、朝日新聞記者が2006年5月、服役中の島村氏と刑務所で面会した時の内容を紹介。阪神支局襲撃の際に使用された散弾銃について、島村氏が「上下2連で、7連発の自動銃」と語ったことを指摘して、「2連式の自動銃は存在しないため、(島村氏が)銃を扱った人物とは考えられないと判断した」と説明した。
また、連載開始前、週刊新潮編集部から問い合わせがあったことも明らかにした。週刊新潮はこの際、〈1〉阪神支局の襲撃時、スニーカー姿でキャップをかぶり顔は隠していなかった〈2〉記者2人を撃った後、残る1人に「5分動くな」と言った——などとする島村氏の5項目の証言について事実確認を要求。朝日新聞は「衣服や靴が異なる」「犯人は言葉を発していない」として証言を否定したが、「無視するように(手記が)掲載された」としている。
その上で検証記事は、週刊新潮が裏付けとなる事実を連載で示していないとして、「虚報」の責任は証言者だけではなく、新潮社も負わなければならないと厳しく批判している。
116号事件の公訴時効がすべて成立したのは03年3月だが、時効成立後でも「真犯人」が名乗り出れば、警察は事実を確認して容疑者として書類送検することができる。しかし今回の場合、警察当局は島村氏の手記を検討した結果、「犯人しか知り得ない『秘密の暴露』はなく、事件とは無関係」と判断しており、警察庁の吉村博人長官も19日の定例記者会見で「我々の立場でコメントするようなものではない」と述べた。
読売新聞が警察当局に取材したところ、島村氏が04年10月、詐欺容疑で宮城県警に逮捕された際、捜査員に「俺があの事件の犯人だ」などと話し、東京・八王子のスーパーで1995年7月に女子高校生ら3人が射殺された事件の「実行犯」と主張したこともわかった。警察幹部は「この点からも、116号事件の実行犯を名乗った島村氏の告白は不自然」と指摘している。
新潮「物証提示済み」
一方、週刊新潮編集部は23日、「朝日新聞の検証記事は、当時の記者の記憶で『再現』したものと異なる証言だから事実ではない、と決めつけたりしている。『秘密の暴露』や『物証』にあたる部分はすでに提示している」とコメントした。
週刊新潮を巡っては、東京地裁が今月4日、大相撲の八百長疑惑に関する記事について、フリーライターの不十分な取材に基づく情報を編集部が裏付け取材をせずに記事にしたと認定。「代表者には重大な過失がある」として佐藤隆信社長らに375万円の支払いと、謝罪広告の掲載を命じる判決を出した(控訴中)。
朝日新聞の検証記事も「新潮社の責任」を指摘しているが、新潮社の加藤新総務部長は「個別の案件については編集部ごとに対応しているので、現時点で社として申し上げることは何もない」と話している。
青山学院大法学部の大石泰彦教授(メディア倫理・法制)の話「週刊新潮が告白を真実と判断したのであれば掲載する意義はある。しかし、事件の当事者である朝日新聞から事実関係を詳細に否定されたのだから、誌上で根拠を示して再反論すべきで、このまま黙殺するのは許されない。朝日新聞や自誌の読者に対し、説明を果たすのがジャーナリズムの責任ではないか」
116号事件を巡る島村征憲氏の手記の概要
在日米国大使館の職員(当時)から「朝日を狙ってくれ」と依頼され、87年1月、朝日新聞東京本社を銃撃した。
犯行声明は右翼団体の野村秋介元会長(93年10月に自殺)が考え、女性がワープロで打った。87年5月には阪神支局で、小尻知博記者(当時29歳)らを銃撃。テーブルの上の緑色の手帳を奪って逃げた。動機は金だった。名古屋本社社員寮の銃撃、静岡支局爆破未遂事件も実行した。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090224-OYT1T00105.htm