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2009年02月24日(火) 06時01分

「モックンって誰や」原作者が明かす「おくりびと」誕生秘話スポーツ報知

映画「おくりびと」の原点となった「納棺夫日記」(文春文庫)

 「モックンって誰や?」—。アカデミー賞を獲得した映画「おくりびと」の原点となったノンフィクション「納棺夫日記」。16年前、本に感激した主演の本木雅弘(43)が突然、著者の青木新門さん(71)に電話をかけたのがすべての始まりだった。青木さんは「本木さんの彼の努力に対して敬意と喝采(かっさい)を送りたい」と祝福。「私はオスカーを取ると確信していた」と語った。

 23日午後1時過ぎ。「『おくりびと』がアカデミー賞を受賞」の文字がNHKのテロップに流れた。受賞を確信していた青木さんは「本木さんに敬意と驚嘆の意を表したい」と、テレビの向こうで笑顔を浮かべる主演俳優を祝福した。

 1993年10月。富山市内の青木家に一本の電話が掛かってきた。「僕、本木雅弘と言います」。「えっ? モックン!?」。当時27歳の人気俳優からの電話を受けたのは年頃の長女。「お父さん! モックンから電話!」。しかし普段、テレビをほとんど見ない青木さんは、ポカンとした表情を浮かべただけだった。「モックンて誰や?」

 葬儀会社に務めていた青木さんは、納棺師の日常や葛藤(かっとう)をつづった「納棺夫日記」を93年3月に出版。地元の出版社に原稿を持ち込み、たったの500部しか世に出回らなかった本だったが、偶然にもインドで写真集の撮影を行っていた本木の手に渡った。本木は「蛆(うじ)も命なのだ。そう思うと蛆たちが光って見えた」の一文に惹かれ、写真集での引用を依頼した。

 それから6年後。「納棺夫日記」を持った本木の写真が、書評誌の表紙を飾った。その記事の中で本木は、こう語っている。「この本を映画化したい」

 青木さんは本木に手紙を出し「映画化するなら、あなたしかいない。どうせするなら、チャップリンの『ライムライト』みたいに、監督から何からすべてやったらいかがですか?」とエールを送った。本木からの返事には「監督は出来ません。でも、ただただ映画化したいんです」とあったという。

 10年にも及ぶ時間を掛けて、ようやく製作が決定。本木は「原作・青木新門」として作品に名を刻むことを強く希望したが、青木さんは「映画と本は違う」として、これを断った。それでも本木は「どうして名前を外すんですか」と、富山まで説得に来たという。青木さんは再び断ったが、その誠実さには感動を覚えたようだ。「彼は1時間半も正座しながら話していたんですよ」

 ノミネートが発表された1月23日にも本木から電話があった。そのとき青木さんは「オスカーを取れるよ」と断言したという「だって、人と人とのきずなと、死者と生者のきずなが描かれているんだから」。

 ◆青木 新門(あおき・しんもん)1937年、富山県生まれ。71歳。早大中退後、帰郷して飲食店を営むが倒産。73年に葬儀会社に就職し、死者を清めてひつぎに納める納棺師に。死者との心の葛藤の記録を日記として書き続け、93年に「納棺夫日記」を出版。他の著書に随筆「木濡れ日の風景」、詩集「雪原」などがある。

 ◆15万部ヒット ○…「納棺夫日記」は93年に富山市の桂書房で出版された。「初めて読んだ時、こんな『死』のとらえ方があるのか、と衝撃を受けました。読み終えて『すぐに本にしましょう』と」(勝山敏一代表)。地方出版社としては3万部(現在まで)のベストセラーになった同書は、96年には文庫化(文春文庫)もされ、現在まで15万部のヒットになっている。今回の快挙を受け、さらに4万部の増刷が決定した。

(2009年2月24日06時01分  スポーツ報知)

http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20090224-OHT1T00077.htm