北アルプスの玄関口・新穂高温泉の宿の草分けで、井上靖の山岳小説の傑作「氷壁」に登場する岐阜県高山市が砂防工事のため取り壊された。経営者の病気で宿の再開は断念したが、川の対岸に移転。来年1月から日帰り入浴施設で再開するのを目指し、建設を進めている。
中崎山荘は1950年代前半、材木商だった故水波勝芳さんが設けた蒲田川沿いの作業小屋に、登山客が泊まるようになったのが始まり。55年、発電所建設のため150メートル上流に移転。当時の地名から中崎山荘と名付けて、宿泊施設として再開した。川の中に温泉がわき出ており、「新穂高温泉」と呼ぶようになったという。
やがて登山ブームが訪れたが、60年代前半まで付近の宿泊施設は中崎山荘だけ。一日の宿泊客が90人に上ることもあるほどにぎわった。山岳遭難では捜索の拠点になった。60年代後半には山荘に温泉を引いた。
70年に新穂高ロープウェイができ、一帯には旅館が増えた。近年は若者が登山から遠ざかり利用者は減ってきたが、常連の足は途絶えなかった。
だが、国による蒲田川の砂防工事の領域にかかることになり、取り壊しが決定。移転が決まったが、一昨年8月、勝芳さんの息子で現経営者の水波隆さん(62)が心筋梗塞(こうそく)で倒れた。幸い回復したものの、家族は隆さんの体力を考え、旅館経営の継続に反対。移転先に掘削してあった源泉を利用して、日帰り入浴施設「中崎山荘 奥飛騨の湯」として再開することになった。
隆さんは「今でも宿泊の問い合わせがあり、風呂だけでも入りたいとの声を聞く。登山者のおかげで今までやってこられた。これからも山から気持ちよく帰ってもらいたい」と意気込んでいる。
【「氷壁」】 1963年発表の山岳小説の名作。2人の若者が北アルプス・前穂高岳を登攀(とうはん)中、ナイロンザイルが切れ、1人が墜死する。生き残った男(魚津恭太)は自殺説などの憶測と戦いながら原因究明に取り組み、死んだ仲間の恋人への思いを振り払おうと、単独で再び穂高を目指す。中崎山荘は、魚津が飛騨側から単独登山に挑む前に一夜を過ごす一軒家の宿として登場する。
(中日新聞)