裁判員制度は、日本人になじみ、日本に定着するだろうか? 陪審制のある米国で弁護士として働いた経験がある、自民党の丸山和也参院議員(63)に聞いた。
「制度に全面的に反対はしないが、日本の文化に合うかどうか。難しいんじゃないかと心配です」と丸山氏。「米国人は議論好き。日本人は、ケンカや攻撃はしても、仲間内のディベートには慣れてないでしょ?」と指摘する。
「控えめ」が美徳と教えられて育った日本人も多いはずだ。しかし裁判員になれば、評議で自分の意見を言わなければならない。それが被告人の死刑につながる可能性もある。丸山氏は「民衆が互いを裁き合う制度は、なじまないかもしれない」と危惧(きぐ)する。
米国の陪審制の歴史は200年以上。実際には市民が参加しない「司法取引」が行われるため、陪審裁判はごく一部でしかないものの、国民から選ばれた12人が有罪か無罪かを決める。丸山氏によると、米国民の間では「仕事が忙しいのに陪審員に選ばれた」といった負担感はあるが「裁判員に対する日本の拒否感、抵抗感みたいなものはない。当たり前の義務、権利なので、そんなに辞退、辞退と言う人もいない」という。
米国の陪審裁判は、民事でも行われる。丸山氏も民事の陪審裁判を担当したが「淡々と、普通にこなしている雰囲気だった。訴訟社会なので、司法に国民が参加する意識がすでにあるんでしょうね」と振り返る。
米国の陪審裁判で話題になったのが、殺人罪に問われた元フットボール界のスター、O・J・シンプソンや、少年への性的虐待を疑われた05年のマイケル・ジャクソンの裁判だ。ともに陪審員の白人、黒人の割合が注目されるなど人種問題も絡み、刑事事件の無罪評決には賛否両論の声があがった。
今後、日本でも注目事件の際には「これまで裁判官が受けていた批判を、裁判員が受けることになる可能性はある」と丸山氏。注目裁判の裁判員に無形のプレッシャーがかかることは十分考えられる。
一方で丸山氏は、日本で刑事事件の裁判を担当しながら「こんなとき、陪審制があれば…」と感じたこともある。7、8年前、青年が近所の子どもの首に腕をかけたところを近くの大人が見つけ、青年は取り押さえられて「殺人未遂」で起訴された。
ところが「前後の状況を見ると、常識的に見てただの悪ふざけなんです。しかし、裁判官は何かと検察官の顔を立てたがる。こんなとき、法廷に一般の人の感覚があればと、悔しかった。執行猶予付きの有罪判決でした」。
選ばれる確率は低くても、ほとんどの大人がなる可能性があるのが裁判員だ。不安は消えず、問題点を指摘する人も多い。裁判員制度は本当に必要なのか? これで日本は良くなるのか? 制度開始まで、あと89日—。=おわり=
◆丸山 和也(まるやま・かずや)1946年1月23日、兵庫県たつの市生まれ。63歳。早大法学部卒業後、法務省入省。73年、弁護士登録。渡米し、ワシントン大ロースクールを卒業後、ロサンゼルスの法律事務所に弁護士として3年間勤務した。80年帰国、丸山国際法律特許事務所開設。テレビ番組でも活躍し、2007年7月、自民党比例代表で参院選に出馬、当選。
(2009年2月21日06時01分 スポーツ報知)
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20090221-OHT1T00032.htm