名古屋市北区の平手町遺跡から、日本最古の舟の形をした木棺が見つかった。弥生時代中期後半(約2000年前)とみられ、これまで最古の舟形木棺が確認された京都府内の遺跡より約200年さかのぼる。舟形木棺は死者の魂を「あの世」に送り出す乗り物として考えられ、同市教育委員会は「弥生人の死を考える心を知る貴重な発見」としている。
舟形木棺は、縦11メートル、横7・5メートルの敷地周辺に溝をめぐらした方形周溝墓から出土。棺(ひつぎ)は長さ2・8メートル、幅80センチ、深さ10センチで、片方の端が削られ、舟形になっている。木をくりぬいて作られ、底は緩いカーブを描いている。ふたも一部残っていた。
内部から上あごや歯、鎖骨、足の骨の一部が見つかり、船尾を頭に遺体が置かれていた。性別は不明だが、身長155センチ以上の成人と推測され、集落の指導者とみられる。
近くの墓から別の舟形木棺らしき一部も発見され、いずれも船首が南西を向いていることから、同市教委の野沢則幸学芸員は「あの世に旅立たせるために太陽の沈む西方に向けたのだろう」とみる。
市教委によると、これまで確認されている京都府京丹後市の「金谷一号墓」は弥生時代末期で、舟形の痕跡が残るだけ。今回の木棺は、ほぼ完全な形で出土した。舟が現世とあの世を結ぶ交通手段と考えるのは「舟葬(しゅうそう)」という葬送風俗で、古墳時代になると舟形の木棺や埴輪(はにわ)、壁画などが各地で見つかっている。
遺跡は弥生時代の一般的な住居跡地に隣接し、当時の墓地とみられる。病院建設に先立ち昨年7月から発掘調査が進んでいた。市教委は木棺の木の種類や遺体の性別を鑑定し、3月末までに木棺を掘り出す。保存処理後に展示する。
■辰巳和弘・同志社大教授(古代学)の話…舟葬という観念が、弥生時代中期までさかのぼることが明らかになった意義は大きい。舟形木棺に託した思いはお盆に故人の霊を船に乗せて海に流す「精霊船」につながっている。古代人の心が現代人にも生きていると言える。
(中日新聞)