世界同時不況の震源地アメリカ。大手企業も大規模なリストラに踏み切り、失業者数は増加の一途、雇用悪化は収まる気配がない。
こうした逆境にも負けず、あの手この手で新たな職を探すビジネスマンもいる。
「一文無しになった銀行マン」——。2008年3月に破綻(はたん)した米投資銀行ベア・スターンズで2年半、アナリストを務めたウィン・ホーニッグさん(25)が運営するブログだ。
1週間に100時間以上働き、帰宅時間は決まって午前0時過ぎ。そんな生活が、ベア社を買収したJPモルガン・チェースのリストラで昨年9月に解雇され、一転した。時間を持てあます毎日に「同じ境遇の人を手助けしたい」とブログを始めた。
入社後にいきなり年収7万ドル(約660万円)を手にしたウォール街の若手エリートが失業した自らの経験などをつづった内容が話題を呼び、今では同年代の若者から寄せられる人生相談の場にもなっている。
<相談>「金融マンだった経験を生かして財務省に入りたいのですが」
<回答>「財務省が本当に必要とする現場の知識は何か。それを知ることです」。経験に基づくアドバイスが好評だ。
ホーニッグさん自身は小さな投資会社に再就職したものの、5月には半年間の雇用契約が切れる。「次の職が見つからなければ、大学院に進む」という。
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「採用面接してくれたら、お金を払います」。ハビエル・プーハルスさん(43)は昨年暮れ、こんな文句を掲げた看板を体の前後に付け、厳冬のシカゴの繁華街に立って道行く人に訴えた。
住宅バブル崩壊で、8年間経営してきた不動産会社が昨春倒産。数か月の職探しも実らず、思い付いた窮余の策だった。
「私のような失業者は何万人もいる。差別化を図らなければ、面接にもたどり着けない」。面接相手が人事担当者の場合は200ドル、取締役・副社長なら400ドル、社長や最高経営責任者(CEO)なら800ドルと謝礼の「料金表」も作った。
気になる反応は——。「面接は5件。でも採用には至っていない。謝礼は拒否された」。ただ本人は「創意工夫の努力は実った。何もしなければ、1社の面接も受けられなかっただろう」と満足げだ。専業主婦だった妻に仕事が見つかり、今はコロラド州デンバーで職探しをしている。
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捨て身のアピールが功を奏した人もいる。「求職看板」を背負って昨夏、ニューヨークの金融街を練り歩いていたジョシュア・パースキーさん(48)は昨年12月、会計事務所に再就職した。米マサチューセッツ工科大学卒で、証券会社での豊富な経験があっても、1年間は職が見つからなかった。
念願の再就職を果たしたが、実家のあるネブラスカ州に「疎開」させた妻と5人の子供との別居生活は続く。「景気はまだまだ落ち込みそう。家族そろった生活はいつになるやら」と今一つ表情も晴れない。
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米国の失業率は1月に7・6%と、1992年9月以来ほぼ16年半ぶりの水準に跳ね上がった。ニューヨーク州の推計では、世界金融の中心地ウォール街を抱えるニューヨーク市内で失業した証券マンは08年10月までの1年間で1万6300人。09年10月までの1年間でさらに3万8000人が職を失う見込みだ。(ニューヨーク 山本正実)
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20090221-OYT1T01103.htm