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2009年02月20日(金) 00時00分

奈良時代の役所発掘・・・大宰府条坊跡あす現地説明会読売新聞

新たに見つかった役所跡とみられる遺構の一部

 太宰府市教委は18日、奈良時代の都市区画道路が残る同市朱雀の「大宰府条坊跡」で、新たに2棟の大規模建物跡が見つかったと発表した。一帯の調査では、これまでに2棟の建物跡が見つかっており、計4棟の配置や規模などから、市教委はこれらの建物が政庁に付帯して建てられた役所「官衙(かんが)」とほぼ断定できたとしている。

 大宰府条坊は政庁を北端の中央に置き、道路を碁盤の目のように整備した約2キロ四方の計画都市。最初に見つかった建物跡は約150平方メートルと約190平方メートルで、政庁から南に延びるメーンストリート「朱雀(すざく)大路」の東側に南北に並んでいた。新たに見つかった建物跡は約70平方メートルと約80平方メートル。さらに東に位置し、やはり南北に並んでいた。

 条坊跡で見つかった建物跡の多くが30平方メートル以下だったのに対し、新たに見つかった2棟を含む4棟は規模が大きいうえ、東西南北を意識した配置で朱雀大路近くに並んでいることなどから、市教委は役所機能を持つ建物だったことはほぼ間違いないと判断したという。調査にあたった中島恒次郎・文化財課主任主査(46)は「奈良時代は疫病の流行や藤原広嗣の乱などがあり、情勢が不安定だった。大宰府の再整備を図るために役所を置いたのではないか。大宰府の在り方を探る手がかりになる発見」と話している。

 市教委は21日午前10時から現地説明会を開く。問い合わせは市文化ふれあい館調査研究室(092・924・8533)へ。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukuoka/news/20090219-OYT8T01065.htm