【イスラマバード20日共同】パキスタンの「核開発の父」カーン博士に核関連資機材が日本企業から大量輸出されていた問題で、博士側が1980年代後半から90年代にかけて、日本からの直接輸入を取りやめ、シンガポール経由で取引する方法に変更していたことが、20日までに博士の証言で分かった。
日本からの資機材調達を継続するため、第三国を迂回することで取引実態を分かりにくくし、輸出規制の網をかいくぐろうとしたとみられる。同時期はパキスタンの核開発が欧米メディアで取り上げられたほか、旧フセイン政権下のイラクの核開発実態が明るみに出たことで、国際的な輸出管理体制が強化されたタイミングと重なる。
博士は共同通信の書面質問に対し「パキスタンの核開発がメディアでプロパガンダされるようになってから、直接取引をやめてシンガポールの第三者を使って取引するようにした」と証言した。
また博士と競うように核開発を進めたパキスタン原子力委員会の関係者によると、プルトニウム型原爆開発に応用可能な重水炉用の重水製造プラントを同委員会が日本企業から輸入した際、この企業のシンガポール支店を経由させたという。