昭和の小学生たちは、マンションの管理人室で墨田区の未来予想図を描いていた——。29年前に東京スカイツリーのような長い4本足の「墨田タワー」を描いた少年たちが名乗り出た。“予言”を残した小学生の一人は既にこの世になく、両親は息子の残していた贈り物に感無量の様子だった。(伊藤史彦)
埼玉県秩父市の池田嚆八(こうはち)さん(75)が約3年間、管理人を務めたマンションは、同区墨田5丁目の、都営団地前にいまもある。絵の右上に、マンションの姿もしっかり描かれていた。
区の広報誌で、子供の絵の募集記事を読んだ覚えがある。「未来の町を描いてみない?」と、池田さんは仲良くなった子供たちにペンと模造紙を渡したという。「テレビゲームが普及する前の子供たちは、面白い変わったことがあると夢中になってやった」と笑う。
29年の歳月を超えて、薄れゆく記憶をたぐり寄せたのは、絵に刻まれた街の姿だった。「昨年暮れ、テレビであの絵を見て『あれ?』と思い、区役所に(自分の絵ではないかと)電話した」。埼玉県越谷市の西田裕延さん(41)の脳裏には、鐘ヶ淵駅と電車を描いた記憶がおぼろげに浮かんでいた。決め手は、駅のガード下に描かれた「あけぼの書店」の看板。一緒に描いた親友岡田順二さんの両親が経営していた店だ。
「あけぼの書店」は昨年までの55年間、同駅近くで営業していた。両親の岡田正男さん(75)と美江子さん(69)は、順二さんの遺影とともに18日、山崎昇区長を訪ねた。順二さんはネパールで教師になるのが夢だったといい、勉強しながら北海道のスキー場で働いていた2001年、バイク事故で命を落とした。
「順二は絵が好きでした。生きていれば自分で描いたかどうか分かるのですが、西田君が『一緒に描いた』と言うので」。そう語ると、正男さんはいとおしそうにじっと絵を見つめていた。
山崎区長は「タワーを予言した小学生に、ぜひお会いしたかった。ありがとうございます」と声をかけた。
西田さんは、帰省するたびに、マンションなどが増え、変容していく墨田区に驚くという。「私が育った地元に、タワーが建つのはすごいことだと思う」と歓迎しつつ、こう言葉を継いだ。「でも、墨田には、下町の雰囲気を残した街であり続けてほしい」
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/news/20090219-OYT8T00123.htm