伊ローマで14日に閉幕したG7(先進7か国財務相・中央銀行総裁会議)に出席していた自民党の中川昭一財務・金融相(55)の記者会見での様子が様々な憶測を呼んでいる。中川氏は時折、寝入りそうな様子を見せ、記者とのやり取りも、ちぐはぐでかみ合わないものに終始。健康状態が憂慮される一方で、外国メディアなどからは「泥酔?」「時差ボケか」と疑う声もあった。果たして真相は…。
財務相同行筋は「今まで見た中で、一番ひどかった」とハラハラした様子だった。「100年に一度の危機」に対応するため、7か国の財政トップと世界中のメディアが集結した大舞台。しかし会見に臨んだ中川財務相の様子には、明らかに異変が見てとれた。その目はショボショボ、声はゴニョゴニョ…。一体、何が起きたのだろうか。
日銀の白川総裁への質問を自分に対するものと勘違いしたのか「な…何? もう一度言って」と返答。記者が質問を繰り返すと、空気を読んだ白川総裁が「あ、私への質問ですか」と、わざわざ再確認する助け舟を出した。経済状況を問われても「まぁ10月は非常にガンと悪くなった。まぁリーマン…」などと、ろれつが回らない。
突然、「どこだ?」と質問した記者の位置を確認したかと思えば、「はぁ〜、ふぅ〜」とせつなく深呼吸を繰り返す。「G20」などと会議参加国を一気に増やしてしまう迷言まで飛び出してしまった。もはや単なる言い間違いやケアレスミスではない。財務相の健康状態に、深刻な問題が起きていたとしか思えない状況だった。
急病、疲労、それとも…。原因は不明だが、AP通信が打電した記事は思いの外、辛辣(しんらつ)なものだった。「中川財務相は寝入ったように見えた。15時間のフライトからの時差ボケを克服するのは容易ではないが、あなたの国の経済は年間で2・5%の減収が予測され、トヨタや日産のような大手自動車メーカーが1万人規模の人員削減を行っている。あなたの目を覚ましておくには十分(な惨状)ではないか」
中川氏は13日午前の閣議後にローマへたち、同日開幕のG7に出席。初日の米オバマ政権・ガイトナー財務長官との初会談などは無難にこなしていただけに、13日夜から14日朝にかけて「何らかの異変」があったのではないかという懸念が広がっている。
タイトなスケジュールの中、健康状態を不安視する声があがる一方、外国メディアの記者からは時差で寝ぼけていたとする説や、果てには酒豪で知られるだけに「泥酔疑惑」までも指摘されてしまった。
中川氏といえば、先月28日の衆院本会議で「歳入」を「歳出」と言い間違えるなどイージーミスを連発。26か所もの訂正願を出したばかり。「渦中(かちゅう)」を「うずちゅう」と間違えるなど麻生首相ばりの誤読も披露してしまった。
この時は趣味のテニスで前日、腰を痛め鎮痛剤を打ったため、意識がもうろうとしていたとする説もある。今回も15時間のフライトに備えて鎮痛剤を打った可能性もありそうだ。
中川大臣は16日に国会で答弁する予定。迷走会見の原因は明かされるのか。その発言に注目が集まる。
◆中川氏トリビア
1953年7月19日、東京・渋谷生まれ。農水相や科技庁長官を務め「北海のヒグマ」の異名を持った故・中川一郎衆院議員を父に持つ。78年に東大法学部卒業後、日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行。83年に父の急死を受けて衆院選出馬、初当選。現在は北海道11区選出で当選8回を誇る。
98年、小渕内閣で農水相として初入閣。初の記者会見で従軍慰安婦問題に触れ「ないともあるともハッキリしたことが言えない」と発言したが即日撤回。03年からの小泉内閣では経産相、農水相を歴任。この頃から酒豪キャラが定着。経産相時代の閣議には「ベロンベロンに酔っぱらって髪はボサボサ。ネクタイも曲がった状態」(永田町関係者)で遅刻。小泉首相から終了後の居残りを命じられて禁酒命令を受ける。しかし禁酒は半年後あえなく断念した。
06年には党三役の政調会長に就任。08年9月には麻生内閣では財務・金融相。同11月には、麻生首相との会談後に「ベロベロに酔っぱらっていた」と週刊文春に報じられ、文芸春秋に謝罪と訂正を求める文書を提出した。
家族は妻と1男1女。趣味はテニスと庭いじり。好物はそば、長いも、サラダ、ヨーグルト。
(2009年2月16日06時02分 スポーツ報知)
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20090216-OHT1T00086.htm