08年11月、落語家春風亭小朝さんと19年間の結婚生活にピリオドを打ち、その後プロレス参戦や歌手活動再開など、お茶の間に話題を振りまいてきた泰葉さんに、話を聞いた。
去年は、いろいろ大変なことがあったかと思いますが、2月3日は豆まきをしましたか?
毎年、豊川稲荷様で(東京・台東区)根岸の実家(海老名家)の手伝いで父(故・林家三平さん)の代から何十年も、弟たちと豆まきの会の手伝いをしていたのですが、勘当されている身なので、行かれず、今年はじっとがまんをして、この事実を受け止めようと、心の中で「鬼は外、福は内」って言いました。一人で豆まきをするのは違うと思って止めました。
では、久しぶりに静かな節分の日だったのですね。
いつもは、本堂で弟たちに豆をすごくぶつけられて。豆って当たると痛いんですよ。それがなくて今年はさびしかったです。
去年は、ハッスルに参戦したりしていましたが、今年はプロレスには出ないのですか?
動画はこちら プロレス活動について私はリスペクトの気持ちが強いので、リングには命を懸けている方々がいるので、素人の私が上がるのは失礼だと思うので、最後にしたいです。マネージャーの清水が一緒に参戦してくれてやっとゲットできた勝利です。あの時私はリングの上でのびていたので、全然わからなかったのですが、清水がぶっ飛ばされたときに、脳震とうを起こしたんです。それを見たらもう涙なくしてはいられません。もう一回やるとしたら、彼の助けが必要なので、それは絶対にできません。その2つの理由でお断りしました。
でも、すごい貴重な体験ですよね。
貴重なんてものじゃないですね。本当に人生を変えていただきました。
今年は歌を中心に?
そうですね。歌が私の命というか、全てですから、それがなかったらダメなんですけど。他の事をしてまた、歌に帰ると思うので、いろんなことにチャレンジしていくような気がします。具体的に何かということはまだないのですが。
新曲の「お陽様よほほえんで」はご自身の作詞ですが、どのような意味をこめて作詞されましたか?
全体的には、人生を振り返っているのですが、抽象的な詞になってしまったので、自分の心に訴えかけて、それのクエッション&アンサーみたいな感じです。
自分への応援歌のように感じたのですが。
ありがとうございます。でも、応援までできなかったです。ただ、かなり楽曲に励ましてもらえました。自分が応援してもらえるような感じではなく。 曲を作ったころはすごくもがいてましたね。節分があけてやっと春の兆しが。
文字通りお陽様が?
まだ、ほほえんではくれるかわからないのですが、そんな気はしています。ずいぶん流れが変わりました。
新曲はデビュー曲の「フライデー・チャイナタウン」と同じく井上鑑さんのアレンジで、結構ロックぽい感じですか。
動画はこちら 音楽を始めたきっかけ〜新曲についてはい。びっくりしたのですが、レコーディングが今ではやらないような全員のセッションで、一発録りなんです。歌も直していません。その映像を見たら皆さん驚いてくれると思いますが、すっばらしいレコーディングになりました。あまりに音のボリュームが大きくて、隣のスタジオからいっぱい見学の人が来たという逸話が残っています。
作詞自体は「夏の恋・ジェラシー」以来でしたが。
うわー、「夏の恋・ジェラシー」ですか?!最後は。
あまり、作詞はされていませんが、すらすら言葉が出てきましたか?
はい。先に言葉がすらすら出てきました。
作曲は久し振りですか?
作詞も作曲も20年以上していません。
すぐ音楽の世界に戻れましたか?
びっくりしました。なんででしょうね。たまっていたんでしょうか?音楽へのラブが。
先日はクイズミリオニアで10万円獲得していましたが、惜しかったですね。
(笑)いやー、そこまでいければという感じで。
かなり、みなさんに「落ち着きがない」って突っ込まれていましたね。パニックになりましたか?
あそこは、リングと同じだと思っていますから、あそこまでテンションを上げないと答えられなかったですね。
泰葉さんの音楽の原点、音楽を始めたきっかけは?
父です。父そのものではありませんが、軽いギャグをやっている人間でしたが、実は振り幅が大きい人で、まじめなこともやっていて、インテリジェンスもある人でした。クラシック音楽が大好きで、シューベルトの歌曲を原曲で歌える人でした。そういうのを聞いて育っているのと、父は、私が音楽をしていないと、何かで発散して表現しないと絶対に爆発するとわかっていたので、それで音楽をやりなさいと。父が音楽を勧めてくれました。原点は父です。
デビュー曲の「フライデー・チャイナタウン」がヒットしましたが、ご結婚の少し前に音楽を辞められましたよね。そのきっかけは?
病気で倒れたし、そのころ、音楽活動に自信が持てなくなったし、信じていなかった自分がいました。チャートというものにブンブンに振り回されて、一喜一憂して疲れちゃったんです。もうダメだということと、そこまで耐える精神力がなかったので。逃げ込んだんでしょうか。
また、こうやって音楽に戻ってこられたということは、すばらしいことですよね。
ありがとうございます。
お父様が音楽の原点ということですが、元々、噺家さんの家に生まれたということで、噺家になろうとは思わなかったのですか?
昔はまだ、今のようにお笑いの人が社会的地位を持っていなかったんですね。お笑いがこんなにうすごいことになると思っていませんでした。私は、ちょっと上から目線で、音楽家の方がかっこいいと思っていて、芸人になるのはイヤだと思っていました。今ちょっと残念なことをしたなと思っていたのですが、ある人から言われたのですが、女だとか、落語家だとか、父は枠にとらわれない人なので、枠にとらわれずに三平を意識したらいいのかと思います。
でも、もし男の子に生まれていたら、三平さんか正蔵さんを継ぐという人生もあったかもしれないですよね?
うーん。でも、逆にじゃあ「どうして女に生まれたの?」って突き詰めていくと、これでよかったと思います。私は生まれ変わっても女の子になりたいです。女の子って言う歳じゃないですけど。女でいたい(笑)すごく女が好きです。
今までいろいろなことがありましたが。
ありすぎです。(笑)
波乱万丈でしたね。
バンザイですね(笑)
振り返ってみて、何か思うことはありますか?
動画はこちら 昨年の言動等の反省本当につらかった。すっごい反省しています。去年の私に関しては、どうしていいのかわからなくなりました。大人として、社会人としては最低な人間だと思っていますが、そのため、すごくマイナスに振れてしまったのですが、それを取り戻そうとしている、自分も「がんばれ」思っています。結果それを含めて、私なんだなと認めることが、生きていくことなんだと。ちょっと大人になれましたね。ひどかったですね。
いろいろバッシングもされましたが。
いろいろどころではないです。(笑)
大変でしたが、その反面応援してくれる人もいましたね。
それは本当にありがたかった。ファンの言葉とか、こんな人を信じてよく20年も待っていてくれました。うれしいと思いました。小さいころから応援してくれている方々とか。1月8日に立川談志師匠からお電話をいただいたのですが、師匠のとっても言葉がとっても温かくて愛情いっぱいで、いろいろ話してくれたのですが、「お前は、父(三平さん)の血を引いているから、どうしてもそういう行動をせざるを得ないだろう。思ったように行きなさい。そして自分(談志さん)にそっくりだから」と。それじゃ、私は談志師匠だから、バンダナしなきゃいけないかなと思ったぐらい(笑)。冗談ですけど、そういっていただいたことがきっかけで、すごく吹っ切れました。大きかったですね。談志師匠には助けられました。
泰葉さんを見ていると生き様がとても“パンク”だなと思いました。どうですか?
パンクですか?!セックスピストルズですか。やった!裏を返すとパンクな私もいますが、表裏一体な部分があって、とてもまじめで秩序を守って、伝統の中で生きてきた私も裏ではいるので、そういっていただけるとすっごくうれしいです。勲章です。
今、一番興味を持っていることは?
天才について考えています。私の周りには天才が非常に多いです。談志師匠もそうですし、狂気を備えた天才ですし。文化人の方とか周りに多いです。口はばったいですが、父も天才だったと思います。天才の定義について考えていて、かなり結論に近づいています。
思い出したくないでしょうが、去年の離婚会見で謎かけをしていましたよね?あれはすごいなと思っていたのですが、ぱっと出てくるものですか?
あれは、仕込みました。すぐにはできないです。評判が悪かったのでもう封印しました。
いっぺいさんの三平襲名披露がありますが。一番仲がいいですか?
めちゃくちゃ仲がいいです。11歳違いですが、本当に弟はいい子です。思いやりがあります。やっぱりがんばって欲しいなと。がんばれるでしょう。信じています。
襲名披露には出られない?
もうひっそりと草葉の陰から。死んでない、死んでない。(笑)温かく見守ってあげたいなと。彼からは電話やメールをいただいていて。本当に目が回るほど忙しいのに、私の友人がSOSを出したら、そのとき仕事でつかまらなかった私のことを必死に探してくれて、本当に優しいなと思います。父を知るファンから見ると、父に比べると芸は未熟だと思いますが、邪道だといわれているのも知っています。弟はまだまだだと見えるかもしれませんが、人を愛するとか人の温かさとかは、父と同じ命を持っているので、絶対に成功すると思います。先日私の友人を救ってくれたときに確信しました。いいヤツです。
最後に、今後の活動は。
動画はこちら 今後の活動について本当に歌いたいです。どこでも歌いたいです。音楽もやっていたので、いろいろなメディアに多角的に自分を表現するために、チャレンジしていきたいと思います。
大手小町は女性向けのサイトですが、女性のみなさんにひとこと。
私は奥様だった時代に、個展を開くほどではありませんが、パッチワークや刺繍をしていました。いろいろなサークルにも参加していました。料理研究家のアシスタントもしていたんです。家庭にしばられず、チャレンジしていただきたいと思っています。
あと、ダンナさんといっぱいスキンシップをしないと危ないゾ!(笑)チューとかいっぱいしていただきたいと思います。
今後のご活躍をお祈りしています。
ありがとうございます。
2008年12月17日リリース「お陽様よほほえんで」
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(ヨミウリオンライン 遠山留美、撮影・高野一)
http://www.yomiuri.co.jp/komachi/news/rensai/20090212ok0e.htm