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2009年02月16日(月) 00時00分

ドイツから日本に転換か パキスタン核開発の調達先中国新聞

 【イスラマバード15日共同=遠藤幹宜】パキスタンの核開発はカーン博士主導で一九七〇年代に本格化、九八年に初の核実験に成功した。資機材の調達先は当初ドイツ企業が中心だったが、核開発疑惑が欧米で報じられ始めた八〇年代以降、日本企業に転換した可能性もある。

 パキスタンと絶えず緊張関係にある隣国インドは七四年、核実験に成功。以降、核開発がパキスタンの最優先課題となった。その後、欧州の企業でひそかにウラン濃縮技術を取得したカーン博士が帰国、開発は急速に進展した。パキスタンの核専門家によると、博士は当初ドイツ企業から核関連部品を多く購入した。

 ドイツはナチス政権下で原爆開発を推進。パキスタンの核開発関係者によると、戦後もドイツの技術は他の欧州諸国に比べてレベルが高く、初期段階で使用されたウラン濃縮用の遠心分離機のプラントなど、核開発目的で輸入した資機材の約五割がドイツ製だという。

 だが、欧州メディアが八〇年代に入り、パキスタンの核開発疑惑を相次いで報道。調達先の企業名も報じられ、欧州からの輸出が困難になった。

 日本も第二次大戦中に原爆研究を進め、戦後は世界一流の原子力技術を誇る。博士はドイツの一部企業との取引を継続する一方、訪日した七七年前後から日本の輸出規制が強まる九〇年代以降も、日本企業との取引を続けたとみられる。

 博士は米国や英国、フランス、スイスなども調達先に挙げている。

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200902160087.html