イスラム国として初の核実験に成功し、核拡散防止条約(NPT)体制にいまも背を向けるパキスタンの核開発を可能にした資機材供給体制に、被爆国日本の技術力と産業力が組み込まれていた。
パキスタンの「核開発の父」カーン博士に納入された物品には、輸出規制対象だった遠心分離機用の特殊磁石までもが含まれていた。取引関係者は「分離機用とは聞いていなかった」とし、長らく「歴史の闇」に埋もれていた商取引に問題はなかったと主張する。
また分離機の素材分析に使われたとみられる電子顕微鏡は、汎用品で当時の規制対象外。顕微鏡を納入した別の取引関係者は、罪悪感をおくびにも見せなかった。
しかし、パキスタンが一九八〇年代末以降、核技術を北朝鮮やイランに拡散する「闇市場」の起点となったことを考えると、パキスタンの核技術確立に被爆国の企業が結果的に“加担”していた事実はあまりに重い。
特に、博士の支援も受けた北朝鮮の核が日本の今日的脅威であるという現実は、当時の貿易管理体制の
博士側と日本の一流メーカーの取引は、パキスタンの「政商」ファルーク氏と、日本の高度成長を背景に海外進出を拡大させた中堅商社ウェスターン・トレーディング(WT社)を「扇の要」にして拡散していった。
当初は核と関係のない物品売買が行われていたが、両者の取引量増大に伴い、「違和感を覚える物」(取引関係者)が発注されるようになった。
「純粋に商売をしただけ」「商社の人間として物を売るのが目的」。四半世紀前の取引に関与した関係者は自分に言い聞かせるように語った。
また一部関係者は「イスラムの核」に野心を燃やす博士に共鳴したと当時を回想。「非核」の国是とは程遠い次元で、核絡みの商取引が行われていたことが分かる。
甘い輸出管理体制、利益最優先の商慣行、日本人には「遠い脅威」だったパキスタンの核開発…。当時の時代的要素が重層的に交差する形で、被爆国がNPT未加盟国パキスタンの核開発にしっかりと組み込まれていた。(共同=太田昌克)