いくつもの“関所”を越えて、裁判員に選ばれると、その権限や義務などの説明を裁判長から受け「公平誠実に裁判員として務めを果たす」旨の宣誓を行う。いよいよこれから、実際の裁判が始まる。
法廷で裁判員は裁判官と並んで座り「審理」に臨む。冒頭手続き、証拠調べ手続き、弁論手続きといった流れで公判は進み、ここでは裁判員も被告人や証人に質問することができる。
繰り返すが、扱うのは殺人や強盗致死・致傷などの重大事件。被告人が暴力団組員で傍聴人もそちらのスジの人、あるいは被告人が宗教の教祖で、傍聴人が全員信者だった場合などは、冷静な審理どころではないのではないか。
関係者によると「裁判員に危害が加えられる可能性などがあり、裁判員の選任が難しそうだという場合」は、裁判官だけで裁判をするよう定められているという。ただしそれが「暴力団絡み」などと、規定されているわけではないそうだ。
隣に座った裁判員が芸能人やプロ野球選手といった著名人なんてこともあり得る。すぐに言いふらしたいところだが、裁判員候補者になったときと同様、裁判員になったことも「公にしてはならない」とされている。自分のことも、他人のこともだ。
これは裁判員の身を守るという意味もあるわけだが、有名人は法廷に登場した瞬間に、顔と名前が一致してしまう。このネット社会、例えば「キムタクが○○事件の裁判員をしている」と広まるのは時間の問題だ。
一方で生放送を休んだり試合を欠場する際、テレビで「裁判員なので」と言うことは「公表に当たるでしょうね」(最高裁広報)ということでNG。もちろん、その職業だけを理由に裁判員を辞退することもできず、有名人にとっては何とも悩ましい問題だ。
さて審理を終えると非公開で行われる「評議」に移る。裁判官3人と裁判員6人が、被告人が有罪か無罪か、量刑までを話し合って決める。
ここで思い出されるのは(ともに陪審員の物語ではあるが)米映画「十二人の怒れる男」や三谷幸喜氏脚本の舞台「12人の優しい日本人」だ。たとえ「事件の関係者」でなくとも、家庭環境などによって被告人へのただならぬ思い入れや、強固な主張を持つ人もいるだろう。
一方で、議論が苦手な人や気弱な人もいるはずだ。裁判官はそのような人の思いも、確実に吸い上げることはできるのか? 「自分の経験に基づいて評議で意見を言うことは問題ない。また何となくこう思うという意見でもいい」(司法関係者)。大切なのは、なぜそう思うか?と聞かれたときに、人を説得できるような、合理的な説明ができること…らしいが結構難しい。
裁判員だって男と女。並んで座って一目ぼれ。「彼の意見に何でもYES」との恋心で、つい結託してしまったら? この場合も「なぜそう思うか?」の問いかけに、モジモジするだけでなく、人を納得させる説明をできるかが、カギだそうです。
◆裁判官によってはズレが出てくる!? ○…評議では裁判員と裁判官が「対等」な立場で議論を交わすことになっている。しかし裁判官に流され、話を合わせて評議を終える人が続出しないだろうか。司法フリーライターの長嶺超輝氏は「評議は非公開。中には理論的でない会話や面倒な話が苦手で、途中でイライラして話を打ち切る裁判官だっているかもしれないんです。それなのに評議内容は秘密。後で検証することもできない」と警鐘を鳴らす。「裁判官の個性によってズレが出てくるような、現在のシステムでは問題がある」と指摘した。
(2009年2月14日06時02分 スポーツ報知)
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20090213-OHT1T00292.htm