朝日新聞阪神支局襲撃事件など一連の警察庁指定116号事件について、週刊新潮が2月5日号から実行犯を名乗る男性の手記の連載を始めたところ、朝日新聞が2度にわたって紙上で反論するなど異例の展開を見せている。時効成立後、5年以上たってからの突然の「告白」に遺族は戸惑いを隠さない。
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週刊新潮は「私は朝日新聞『阪神支局』を襲撃した!」とのタイトルで、2月19日号まで3回連続で島村征憲氏(65)の手記を掲載し、次号も掲載するとしている。
島村氏が手記で「実行した」としているのは、1987年5月の朝日新聞阪神支局襲撃や、同年1月の同社東京本社銃撃など4事件。阪神支局襲撃ではオートバイで支局に向かい、「水平2連式」の散弾銃で2人の記者を銃撃したと明かし、襲撃を依頼したのは、在日米国大使館の当時の職員で、多額の報酬が目当てだったなどとしている。
週刊新潮は読売新聞の取材に、同誌編集部名の文書で「記事に掲載した根拠などをもとに島村氏の手記は真実と認識している」と回答した。
一方、朝日新聞は、週刊新潮2月5日号が首都圏などで発売された当日の1月29日夕刊で、手記には事実と異なる点があるとした反論記事を掲載。2月5日朝刊では、島村氏が阪神支局で2人の記者を銃撃した後、もう1人の記者に「5分動くな」と言って逃走し、緑色の手帳を持ち去ったとしている点について「犯人は終始無言だった」「現場から紛失したものはない」と指摘した。
朝日新聞大阪本社広報部は「連載が終了した段階で検証記事を掲載し、被害者や社員の名誉を棄損する記述があれば厳正に対処する」とコメント。職員が襲撃を依頼したと指摘された在日米国大使館は「バカげた記事であり、真剣にコメントするに値しない」(デービッド・マークス報道官)としている。
島村氏は2004年10月、おれおれ詐欺グループに不正売買するため銀行口座を開設したとして詐欺容疑で宮城県警に逮捕され、実刑判決を受けている。警察当局はこの時、島村氏を暴力団周辺者とみていたが、右翼の構成員と認定した記録はない。この点も、「85年ごろ右翼団体をやっていた」とする島村氏の手記とは食い違っている。
また、兵庫県警によると、02年5月に阪神支局襲撃事件の時効が成立するまで島村氏が捜査対象になったことはなく、同県警幹部は「襲撃に使われたのはオートバイではなく、乗用車とみている」「彼の存在を知ったのは今回の記事が出るとわかってからだ」と語る。
これまでの手記では、登場する人物の多くが亡くなっているのも特徴。犯行声明文の執筆を依頼したとされた右翼団体の野村秋介元会長(93年10月に自殺)もその1人で、側近だった蜷川正大(にながわまさひろ)氏は「手記では2人が懇意だったように書かれているが、(野村元会長の)家族も、我々も島村氏を知らない」と指摘する。
阪神支局銃撃事件で命を落とした小尻知博記者(当時29歳)の父親、信克さんは困惑した表情でこう話した。「記事は読んだが、違うと思う。迷惑しているし、混乱もしている」
服部孝章・立教大学教授(メディア法)は「時効が成立した事件でも真相を追求することは意義がある」としたうえで、「真犯人の告白という形で報じるには、当事者しか知り得ない『秘密の暴露』があるかどうかなど徹底した検証が必要。朝日新聞が反論を掲載した現状をみると、裏付け取材が甘かったのではないかとの印象を受ける」と指摘。万一、手記が誤っていた場合の週刊新潮の責任については「振り回された遺族は傷つく。被害者の名誉を傷つける表現があった場合、法的責任を追及される可能性もある。取材経緯の説明など道義的責任を果たすことも求められるだろう」と話している。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090213-OYT1T00059.htm