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2009年02月12日(木) 00時00分

人工内耳に感謝のライブ読売新聞

品川の真野さんら企画
真野さんが装着する人工内耳の外部装置(6日)=関口寛人撮影
大使館関係者と打ち合わせをする真野さん(中央)ら(6日、東京・港区のオーストラリア大使館商務部で)=関口寛人撮影

 聴覚障害者のための装置「人工内耳」で音を取り戻した品川区の真野守之さん(55)らが、人工内耳についての知識の普及と、音楽の素晴らしさを伝えるため、プロのピアニストらによるジャズライブを3月3日の「耳の日」に企画している。この装置を生んだオーストラリアへの感謝を込めて、港区の同国大使館(三田2)を会場に選んだ。(関口寛人)

 人工内耳は、耳周辺のマイクで拾う音声を電気信号に変換。側頭部に埋めたアンテナで受信し、内耳の聴覚神経を電極で刺激して聴力を取り戻す。主流の機種はオーストラリアで開発され、東京医科大病院(新宿区)によると、世界で約13万人、日本では6000人ほどが装着している。

 難聴だった真野さんがすべての音を失ったのは10年前。自宅での夕食中に突然、音が消えた。補聴器の故障ではなかった。テレビの音も、家族の声も、自身の声も分からない。「頭が真っ白になった」という。

 1週間後に耳鼻科を訪れた。原因不明。「治らない」という医師の言葉の意味は、そばにいた妻の動作で知った。数か月後、勤めていた会社を解雇された。仕事は見つからず、家にいる時間が増えて「精神的に追いつめられた」。

 約3年後、48歳の時にインターネットで人工内耳を知り、「可能性があるなら」と東京医科大病院で右耳の手術を受けた。2週間後、初めて人工内耳を使う日。「聞こえなかったら、病院の屋上から飛び降りる」覚悟だった。病院でスイッチを入れると、「真野さん、聞こえますか」という言語聴覚士の声。「信じられない。これで生きていける」。跳び上がりたい思いだった。

 家族との電話やコンサート鑑賞などの練習を重ね、街の車の音、電車の響きなどの騒音も聞き分けられるようになった。手術の翌年に羽田空港で働き始め、リハビリサークル「遊びクラブ」を主宰。人工内耳装着者たちで月に1回、高尾山や札幌の雪祭りなどに出掛けた。

 今回のライブは、「聴覚障害者のためになれたら」というピアニストの遠藤征志さん(30)と、「音楽を通じて人工内耳を広めたい」という真野さんらが半年前から準備を進めてきた。当日は「星に願いを」「永遠の人」など約10曲を演奏。ベース、ドラムも加わって盛り上げる。

 真野さんは「聴力を失っても、人工内耳で社会復帰できることを知ってほしい」と話していた。

 午後6時半開演。入場無料で、事前申し込みが必要。はがきで〒142・0064、品川区旗の台5の17の9、真野守之さん方へ。22日必着。会場が大使館のため、当日は写真付き身分証明書が必要。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/news/20090212-OYT8T00150.htm