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2009年02月11日(水) 00時00分

三鷹、来春に40年ぶり水車回る読売新聞

野川の氾濫で停止  モーター回転実験成功
水輪の前で水車の魅力を語る宮川さん

 約200年前に完成し、都の有形民俗文化財に指定されている三鷹市大沢の旧農家にある水車が来年春、約40年ぶりに復活する。台風による野川の氾濫(はんらん)で水路が封鎖されて以来、回ることのなかった水車をモーターで動かす実験に成功したためだ。かつて三鷹の農業を支えてきた水車が再び動き出すことに、愛好家らは「地元の新しいシンボルになる」と喜んでいる。

(大野潤三)

 市によると、この水車は江戸時代の1808年(文化5年)に完成。当時、新田開発が進み、三鷹周辺の川沿いには水車小屋が点在し、精米・製粉工場として稼働していた。白米や小麦粉は江戸に出荷され、その頃に登場したうどん屋などで使われたという。

 明治以降も現役として活躍していた水車が止まったのは1968年。台風で野川があふれたため、護岸工事で水路が封鎖された。94年に所有者の峯岸清さん(昨年7月死去)が市に寄贈してからは、委託を受けた峯岸さんと愛好家らでつくる「みたか水車クラブ」のメンバーが、観光客の案内や小屋の掃除をしてきた。

 直径約4・6メートルの「水輪(みずわ)」は1分間に10〜12回転し、10馬力ほどで複雑にかみ合った「万力」と呼ばれる歯車を動かし、14本のきねを上下させて脱穀、2台のひき臼を回して小麦粉を作った。

 消耗が激しい万力の歯は、横からの衝撃に強い縦の木目が使用され、交換も可能。きねを上下させる芯棒には、滑らかに動くよう、油を染み込ませた米ぬかが詰め込まれていた。水輪と水底の間は1センチほどで、水の力がもれなく水輪に伝わる仕組みになっている。

 「昔懐かしいだけではない。至る所に様々な工夫が凝らされている」。約20年前に水車と出会ってとりこになり、峯岸さんのもとで水車の仕組みや歴史を学んだ同クラブ代表の宮川斉さん(61)は魅力を語る。

 水車の再始動にあたり、市は昨年6月から12月まで一般公開を中止し、水車をモーターで動かす実験に取り組んだ。40年間止まっていた水車が正常に作動するか不安だったが、水輪は回り、きねやひき臼も以前のように動いた。市は小屋の敷地内に貯水タンクを設置して水路に水を流す方法を検討しており、水は循環させて再利用する。

 また水輪は、同クラブのメンバーらが5年前に峯岸さんの指導を受けて作った新しいものに交換されるという。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/news/20090211-OYT8T00122.htm