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2009年02月11日(水) 21時00分

「樺太」首相訪問は誤ったメッセージ送ることにならないか産経新聞

 麻生太郎首相は18日、日露首脳会談などに臨むため、戦後の首相では初めてサハリンを訪問する。サハリンは、日本では「樺太(からふと)」と呼ばれ、南部は終戦時まで日本領だったが、旧ソ連の一方的な侵攻で占領された地だ。麻生首相は資源開発への協力関係の構築を通じて北方領土問題の進展を図るためにサハリン訪問を決断したが、帰属未確定のサハリンへの首相訪問は、日本の間違った外交姿勢を伝える場にもなりかねないと危惧(きぐ)する声があがっている。(今堀守通)

 首相がサハリン訪問を決意したのは、1月24日のロシアのメドべージェフ大統領との電話会談だった。

 「サハリン2の稼働開始式典に招待したい。式典の際には日露間のすべての問題について話し合いたい」

 事務レベルでロシアから招待の打診があったのも電話会談の直前。日本外務省には当初、「首相をサハリンに呼ぶのはどういうことか。しかも招待は式典のわずか3週間前。ホイホイ行っていいのか、との意見があった」(幹部)という。

 サハリンは、日本国民にとって複雑な感情を抱かざるをえない地だ。

 明治38(1905)年の日露戦争後のポーツマス条約で、北緯50度以南のサハリンが日本領となり、日本政府は現在のユジノサハリンスクのある場所に「樺太庁」を置いた。

 だが、昭和20(1945)年の第二次大戦終戦直前の8月9日に旧ソ連が侵攻し占領。26(1951)年のサンフランシスコ講和条約で日本はすべての権利や請求権などを放棄した。とはいえ、旧ソ連が講和条約に不参加だったため、日本政府は北方四島を除く千島列島と南樺太の国際法上の帰属は「今も決まっていない」という立場だ。

 一方、サハリン沖での石油・天然ガス開発に対する日本側の協力が本格化するにつれ、日本への渡航者のために査証(ビザ)発給手続きが増加。日本政府は平成9(1997)年にユジノサハリンスクに出張駐在官事務所を新設した。さらに、サハリンでの邦人保護の必要性が高まったとして、13(2001)年に総領事館に格上げした。

 こうした複雑な事情を抱えるサハリンだが、「帰属の決まっていないサハリンを首相が訪れることで、ロシアや日本国民に誤ったメッセージを送ることになりかねない」という外務省内の懸念を押し切る形で、首相は訪問を決断した。

 麻生首相は就任以来、中国や韓国と、経済分野を中心とする「実利」の関係構築に努め、ロシアに対しても1月28日の施政方針演説で「アジア太平洋地域の重要なパートナー」と位置付けている。式典の舞台となるサハリン2の稼働を契機に、資源・エネルギー分野を中心に関係強化を図り、北方領土問題も進展させたいとしている。5日の衆院予算委員会では「外交を政争の具にするつもりはない。常に国益を考えてやるものだ」と強調した。

 しかし、日本国際フォーラムの伊藤憲一理事長は「北方領土問題が全く動いていないときに、日本の首脳がサハリンを訪問すべきタイミングなのか。旧ソ連の軍事行動を承認することにはならないか」としている。

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