1945年7月28日、米軍による爆撃で17人が犠牲になったとされる尾道市因島三庄町の空襲で、被災当時の小学2年の少女と生後9カ月の男児が7日、64年ぶりに再会し、空襲現場や防空壕(ごう)跡地を訪ねた。
奈良市在住の大田(旧姓山崎)しどりさん(70)と因島椋浦町、学習塾経営青木忠さん(64)。2人の家は同一敷地にあり、同じ爆弾で全壊した。山崎さんと家族は防空壕へ避難して無事。西隣に住む青木さんは生き埋めになり、仮死状態から救出された。
再会のきっかけは昨年7月、青木さんが自費出版した「瀬戸内の太平洋戦争—因島空襲」を大田さんが新聞で知ったことから。大田さんは、転校した大阪の中学3年の時に書いた因島空襲の体験の作文を手紙に同封して青木さんに送った。
作文は、北隣の家の6人が生き埋めになり亡くなったことをつづる。「おばあさんだけが生き残り、写真を見て町を泣きながら歩いていた」などと惨状を伝える。青木さんは「記憶が鮮明で資料価値は高い」と評価する。
【写真説明】持参した通知表や着物、作文をを見ながら青木さん(左)と語り合う大田さん