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2009年02月06日(金) 20時20分

【かんぽの宿問題】東急リバブル転売にみる民営化の問題ツカサネット新聞

日本郵政による不可解な安値での資産(かんぽの宿など)売却が大きな問題になっているが、大手不動産業者の東急リバブルも多額の転売益を得ていることが判明した。東急リバブルは旧日本郵政公社から評価額1000円で取得した沖縄東風平(こちんだ)レクセンターを学校法人・尚学学園(那覇市)に4900万円で転売したという。

簡易保険(簡保)事業は税制面などで優遇され、その資産は日本国民の資産とも評価できるものである。それが低価格で譲渡され、東急リバブルのような企業が転売することで濡れ手に粟の暴利を貪る。これは日本国に対する裏切り行為である。この問題は民営化に内在する問題を示唆している。

公企業の民営化を推進する思想的バックボーンとなったのは新自由主義である。端的に言えば「民間にできることは民間に」という発想である。それでは何故、民間が行うべきかといえば政府(公務員)が担当するならば非効率になるためである。

資本主義の勃興期にはレッセフェール(なすにまかせよ)をスローガンとする自由放任主義が流布した。それは自由競争によって「神の見えざる手」が働き、公共の利益を増進させるという楽観論に基づいていた。

しかし、現実には自由放任の下では市場の失敗が発生する。例えば東急不動産(販売代理:東急リバブル)から不利益事実(隣地建て替えなど)を説明せずにマンションを記者に販売した。消費者保護という実効的な規制が機能していなければ、悪質な業者は騙し売りを続け、長期的には市場そのものの発展をも阻害することになる。このような市場の失敗を是正するために政府による介入が正当化されるようになる。

ところが、政府が介入し過ぎるとかえって弊害が生じることになる。市場に介入する政府は公正中立で神のような存在ではなく、間違った介入を行ってしまうからである。現実に政府を動かしているのは人間である。神ならぬ人間には市場の情報や知識を全て知ることは不可能である。従って市場の失敗を是正するための合理的な判断を下す能力があると過大評価できない。しかも、相次ぐ官僚の不祥事を引き合いに出すまでもなく、国民の利益よりも自分や身近な人間の利益を優先させている。このため、政府に過大な役割を負わせることは危険である。

これが「民間にできることは民間に」という新自由主義の思想的根拠である。

つまり、アダム・スミス的自由主義と新自由主義は市場原理重視という結論は共通するものの、そこに至る発想は真逆である。前者は自由放任が良い結果をもたらすという楽観論に立脚していた。これに対し、後者は政府を動かす人間には合理的な判断ができないという悲観論から消去法的に市場原理に委ねることを求めている。

政府(公務員)への不信が新自由主義の出発点となっている。この点からすると、郵政民営化のような強引な改革には危険がある。確かに民営化というゴールは政府の役割を減少させるという新自由主義の方向性に合致する。しかし、民営化の過程では、制度変更のために政府の担当者に大きな裁量権を付与することになる。その際に神ならぬ人間が適切に権限を行使するとは限らない。「かんぽの宿」をめぐる疑惑は、まさにこの点が突かれたものである。悲観論に立って国民が厳しく監視する必要性を示している。



(記者:林田 力)

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