プロ野球往年の強打の外野手で、中日とロッテで監督だった
愛知・起工高から社会人を経て、一九五二年に毎日(現ロッテ)に入団。五四年から2年連続打点王を獲得するなど巧みなバットコントロールで「シュート打ちの名人」「打撃の職人」と呼ばれ「ミサイル打線」の中心打者として活躍した。
六〇年には本塁打王、打点王の2冠に輝き、最高殊勲選手(現最優秀選手=MVP)にも選ばれた。六四年には、ともにチームの中核だった小山正明氏との「世紀のトレード」で阪神に移籍。六八年からは三年間、広島に在籍し、球団初のAクラス入りに貢献した。七〇年に現役を引退した。
プロ19年間の通算成績は打率2割9分5厘、396本塁打、1286打点。首位打者1度、本塁打王2度、打点王4度の実績を残したほか、通算300本塁打を最初に達成。16度出場したオールスターでも大活躍して「オールスター男」と言われた。ベストナインにも10度選ばれた。
指導者としても評価が高く、引退後は巨人、阪神の打撃コーチを務め、ロッテと中日で各3シーズンずつ指揮を執った。監督通算成績は336勝313敗。二〇〇二年に野球殿堂入りを果たした。
【写真説明】1955年2月、毎日オリオンズ時代の山内一弘選手の打撃フォーム