2009年02月04日(水) 19時08分
【テレビ評】「天地人」第5回、義とは何か(ツカサネット新聞)
戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第5回「信長は鬼か」が2009年1月25日に放送された。今回は前回までの青春ドラマとは大きく雰囲気が変わった。兼続は義のために戦った武将とされ、義は本作品のテーマになっている。しかし、何が義であるかは簡単ではない。今回は、その難しい問題に取り組んでいる。
兼続(妻夫木聡)は織田信長(吉川晃司)に謁見し、義の精神をぶつける。しかし、信長は義を戦の口実に過ぎないと一蹴する。これは義のために戦う上杉謙信(阿部寛)と義を否定する信長という対比になりやすい。しかし、そのような安直な二元論にしないことが本作品の奥深いところである。
兼続と信長のシーンは迫力満点であった。鬼気迫る信長に兼継はたじろぐ。それでも自らの思いを少しでも伝えようとする意志の強さがある。唇がワナワナと震える兼継には、真に迫るものがあった。そして信長と言葉をぶつけることで、兼続は信長を単に破壊し尽くすだけの存在ではなく、天下平定という義が存在するのではないか、と考えるに至る。
兼続と言えば次の天下人となることが確実と思われた徳川家康に喧嘩を売った男として歴史に名を残している。しかし、豊臣秀吉には早くから臣従し、関が原の戦い後は徳川家重臣・本多正信の息子・本多政重を養子に迎えるなど江戸幕府にも低姿勢を示した。兼続は無闇に権力者に逆らったのではなく、時代の流れを見る目を有していた人物である。
一方、謙信の義も悪逆な信長を討つというような短絡的なものではなく、戦による民草の苦しみを考えて悩むストイックなものであった。ここには民生を重視する温かみのある為政者の精神がある。兼続の兜の前立ての文字「愛」について原作の「天地人」では仁愛と解釈するが、謙信の精神とつながるところがある。
今回は信長と謙信を交互に映し出す演出をしており、それぞれの義を持つ両雄と位置付けている。その謙信と信長の軍勢が次回戦うことになる。この戦いは兼続の初陣でもある。このドラマでは兼続は完全無欠の人格者ではなく、泣き虫と呼ばれながらも成長していく存在である。初陣を経た兼続が武将としてどのように成長するのかに期待したい。
(記者:林田 力)
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