2009年02月03日(火) 11時56分
東大生のノートは本当にキレイ? いや、そもそもノートを取ってない(Business Media 誠)
現役東大生・森田徹の今週も“かしこいフリ”:『東大合格生のノートはかならず美しい』(東大ノート本)という本が15万部も売れているらしい。活字離れに金融危機が重なった出版不況の中、この数字はスゴイと言っていいだろう。
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東大に合格する生徒のノートが美しいと聞いて「そんなバカな!」と思った筆者は、自分のノートを改めて確認した。しかし何度見ても、汚いのだ。学生証には「東京大学教養学部」と書いてあり、確かに東大生なのだが、それでもやはりノートは汚いのだ。
もちろん、筆者は中学生のときから投資にかぶれている資本主義の手先だから、印象操作だろうが偏向報道だろうが「数字を取ったものが勝ちだ」と考える人種である。だから本が売れて、印税で1500万円ほど稼いだ方が“勝ち”だと思っている。はっきり言って、あやかりたい。
そこで今回は東大ノート本を批判するだけではなく、「効率的な勉強法とは何か?」といったテーマについて考えてみた。
●「優等生」の書く本の内容
まずは東大ノート本の“揚げ足”をとることにしても、本の内容を確認しないのはやはりマズい。しかし、わざわざ買うのも面倒なので、立ち読みですますか……と考えながら“ググって”みると、文藝春秋が特設サイトを立ち上げていた。
そこで、本稿ではこのWebサイトに書いてあることを東大ノート本と同一のものとして扱う。万が一、これが文藝春秋の図った壮大な罠だとしても、筆者は責任を負わない。
東大ノート本のWebサイトは、法則・事例・実践の3部構成になっている。重要なのは「法則」だろうから、以下に要約する。(1)文頭をそろえる、(2)不要なものはコピーする、(3)余白をとる、(4)インデックスを作る、(5)重要なところは改ページ、(6)自分のフォーマットを作る、(7)丁寧に書く——といった具合だ。
「キレイなノートを作る」という前提に立てば、なかなか良いアイデアだ。その上、Webサイト上でインタビューに答える東大生の女の子は実にかわいらしい。優等生然としていて、さらに見せるノートも美しい。筆者も見習った方がいいかもしれない。
ただ、はしごを外すような展開で申し訳ないが、東大ノート本の著者である太田あや氏のかき集めた200冊の東大生のノートはすべからく美しかったのかもしれないが、あえて断言しよう。
そもそも、東大生はあまりノートを取らないのだ。
●ノートに情熱をかける「勉強ベタ」と「神」
なぜ「東大生はあまりノートを取らない」と言い切れるのか。結論から先に言ってしまえば、本当に東大生がみんなノートを取るなり、まとめ直すなりの習慣が付いていて、それが美しければ、シケ対(試験対策委員会)のような“伝統的官僚機構”はニーズがないので存続し得ない。簡単に言ってしまえば、授業の完璧なレジュメ(試験対策プリント「シケプリ」)を学生が分担して作る相互互助システムだ)。
さらに言えば、ノートを取るというのはインプットではなくアウトプットの過程なのだから、そんな作業に情熱を傾けるのは、以下に挙げる2タイプの数少ない学生だけだろう。
まず、授業に出ただけで勉強した気になる勉強下手な学生である。もちろん、1から復習しなおすので恐ろしく非効率だが、この手の輩で東大に入るような人々はすべからく異常な勉強時間なので、確かに成績は悪くない。
次に、聞いた瞬間にすべてを理解してしまって、やることがないのでノートを作るという純粋な趣味人である。これら趣味人は、級友の間では「神」とあがめられ、そのシケプリは何年にもわたって「神シケプリ」として出回るというケースもある。
さすが東大生の仕事だけあって、教科書よりも教科書に近いものができあがっていたりすることもある。いずれにせよ、筆者のような凡人が真似をするべき所業ではない(もちろん、シケ対は電子化された完璧に美しい“シケプリ(試験対策プリント)”を作成する。だから、自分に割り振られた科目のノートだけ見れば、確かに「みんな美しい」)。
●ノートが集まらない!
とはいえ、推測だけでモノを書くのはいただけない。実際のところ、これをきちんと反証しようと東大の駒場キャンパスでシケ対以外のノートを集めようと努力したのだが、試験期間中ということで、あまりにノートの数がそろわない。みんな自分の書いたノートを携帯していないのだ。
“敵”が200も集めたというのに、1クラス分も集められないとはなんとも情けない。仕方がないので調査内容を説明し、意見を求めると「シケプリがあるのに、ノートなんて取るわけないじゃん」、「その場で覚えるために板書がある授業は写すけど、汚いから自分のは見直さないよ」、「比較的ちゃんと書いてる。だけど絶対に漏れがあるから、シケプリがないと話にならない」、「自分で分かればいいんだから、別にキレイに書かなくてもいいんじゃない?」、「ちゃんと取ってるよ。でも、シケ対ではないのでそんなにキレイではない」「おい、森田。この授業、教科書からしか出ないぞ」などなど。
このほか「そろそろ試験だからシケプリ集めに久々に学校に来た」といった意見もあった。
これだけの意見では話にならないので、用事がてら本郷キャンパスに行った。そして運良く数人の学生に話を聞くと、ある法学部の友人がいいことを教えてくれた。
「大体、専門(課程)でレジュメを用意しない先生だと、速すぎてノートを取りながら授業なんて聞いてられないから、ボイスレコーダーを使っている。だけど、聞き直さないことも多いが……」
●取材から見えてきた「効率的勉強法」
人の勉強法はさまざまだ。もちろん、ノート作りが楽しく、シケプリを作るうちに復習が済んでしまったという学生たちも筆者は知っている。その一方でシケプリ作りに精を出したのにも関わらず、「良」や「可」しか取れない学生も1人や2人ではない。
シケプリを作った本人よりも、そのシケプリを読んだだけで授業には全く出ていない学生の方が成績が良かったり、シケ対の担当科目よりもほかの科目の方が成績が良いという東大生もいる。
では、東大生はどうやって勉強をしているのだろうか。友人への聞き取り調査を進めていくうちに、たくさんの勉強法に出会い、驚嘆したのだ。
勉強法をざっくり分類して、終わりにしよう。以下で述べるのは、主に復習方法である。
聞けば・読めば分かる派
この型に分類される彼らは、正真正銘の「天才」だ。しかし、東大ともなると、これは1人や2人ではない。だから、お手本にはならないだろう。
筆者個人のことをいえば、好きなことだと意識して勉強したわけでもないのに、自分でも驚くほど頭に入っていることもあるが、興味のない大抵のことは何回繰り返しても忘れる。好きこそ物の上手なれ、とはよく言ったものだ。
実際、勉強だけに限らず、その内容を好きになって驚くほど効率が上がったという人もいるだろう。筆者の場合、高校生のときにはイタリアの首都も分からず地理が大の苦手だった。しかし欧州マーケットが「次の火種となるのではないか」と噂される昨今においては、ほぼ完璧に欧州の国や主要都市のほか、主要企業などを覚えている。とはいえ、これは勉強法ではないだろう。
繰り返し聞く派
先ほどのボイスレコーダーの件もあったが、一度録音されたものを1.5倍速や2倍速で繰り返し聞くというのはよく聞く勉強法だ。取材中、法学部を主席卒業したある学生も、この方法を取っていたという話を聞いた。
ロースクールや公認会計士などの専門学校に通っている学生も多いが、こうした学校の多くのDVDデッキは1.5倍速に設定されている。
色ペンチェック派
本を読むとき鉛筆で線を引いていくという読書法。色ペンでテキストやレジュメを塗っていくこの方法は、よく目にする。
もちろん、場合によっては下敷きで塗った部分を隠す。穴埋め型のテスト形式だと必須の勉強法である。
らくがき帳派
筆者の勉強法もこれに分類される。きちんとした教科書なりシケプリなりを調達してきて、読みながら重要そうなキーワードや概念だけイメージに残りやすいように書き出している。
筆者自身は無印良品の「らくがき帳」を愛用していて、最初にアイティメディアに行ったときには笑われたものだ。しかし、すぐ捨てられるような裏紙を携帯している学生を見ることが多いことから、一定数いるのではないかと推測される。
議論派・問題を解く派
友人と授業内容について話をしたり、問題を解いて間違えたところを見直すという方法の反復で身につけてしまうという方法である。問題を解いていくうちに勝手に頭に入るというのは、取材した限りでは一番よく聞いた勉強法である。当たり前すぎて、わざわざ勉強法と書くのも恥ずかしいところだ。
個人的には議論は好きなのだが、自分自身も友人もテキストやレジュメを一読もしてないことが多いので、テスト前にならないと機能しないことが多い。
ノート作り直し派
少々コケにしてきた感はあるが、ノートを作り直して復習する学生もいる。とはいえ、Webサイトで例示されているような色ペンまで使った鮮やかなものやインデックスなどは見たことがない。ほとんどの学生のノートは、鉛筆かボールペンで黒々と書かれ、ときおり赤ペンや青ペンが使われる程度である。ノート作りが作業になってしまったらお終いだろう。
自分の頭に入れるのが重要なのだから、自分が読めればいい。美しい必要など、どこにもないのだ。
●特別な勉強法なんてない
東大生のノートが美しいかどうかの以前に、授業に出る派・出ない派にも分かれるなど、細分化していけばキリがない。もちろん、これは別に合格してしまったから、腑(ふ)抜けになったというわけではない。大手予備校では有名な話だが、予備校には来るが授業には出ず、ひたすら自習室に通うというのはよくある話である。受験生にとって、仲間がいるという環境は重要だから、こういった予備校の使い方も一概に不合理だとはいえない。
これも「自分流」の勉強法である。テストで酷い点数を取ったり受験に落ちれば自己責任なのだから、授業に出ることを強制される筋合いはない。
読者の中には「目新しくもなんともないじゃないか」と思われている方もいるだろう。当たり前である。別に東大生だからと言って特別な勉強法があるはずもなく、彼らもまた地道に反復を行いながら、日々学んでいるのである。
●最後に、きちんと「言い訳」
最後に東大生の名誉のために言っておくと、授業に出なかろうが、シケプリがあろうが、ゼミの選考や就職活動などにおいて学校の成績(試験の点数)がモノを言ってくる。こうした成績による“競争原理”が働いているため、実は多くの東大生は驚くほど勉強しているのだ。
筆者は慶應義塾大学経済学部で1年間仮面浪人をし、フル単(1年生のときに必要な単位をすべて修得した)までして退学し、東大に再入学した不名誉な経歴を持つ。その個人的な経験から言っても、東大の方がはるかに単位を取るのが難しい(これも言い訳をしておくと、今でも慶應は大好きで、当時のクラスメイトとはいまだに仲が良い。学生生活を楽しむなら、絶対に慶應の方がいいと思う)。
東大ノート本の話に戻すと、正しいタイトルはこうだろう。
『東大生のノートの中にはキレイなものもある 〜誰も自分のノートを使わない不思議〜』
さて、美しいとは言いがたいノートを嫌々ながらも公開することに同意してくれた友人諸君に、深い感謝の意を述べて筆をおくことにしよう。筆者は良い友人に恵まれているようである。
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