2009年02月01日(日) 12時04分
宮本武蔵は本当に強かったの?(産経新聞)
剣豪、と聞いてまず宮本武蔵の名前を挙げる人は多いだろう。昭和初期に朝日新聞で連載された吉川英治の小説「宮本武蔵」は爆発的な人気を呼び、後世この作品をベースに、いくつもの映画が生まれた。新しいところでは、平成15年にNHKの大河ドラマとなり、井上雄彦氏のベストセラー漫画「バガボンド」も吉川の小説が原作だ。
【写真】交際不調? 小次郎演じる小栗旬“プチ”ギレ「しつこいよ!」
しかし、描かれている数々の決闘の中には、常識的に考えれば首をかしげたくなるものもある。慶長7(1602)年ごろ、一乗寺下り松(京都市左京区)で行われた、武蔵と吉岡一門による決闘もその一つだ。
武蔵によって相次いで「主」が討たれた名門・吉岡道場の門下生は、リベンジを誓い武蔵に挑む。70人以上の門下生を前に、武蔵はまず大将の吉岡源次郎(又七郎)を一刀両断。一門の剣豪たちを次々と倒し、吉岡道場を壊滅させる。
数々の映画やドラマでも描かれた名シーンだが、いくら史上最強の剣豪といえども、70人を相手にしたら逃げ切ることすらできないのではないかという素朴な疑問が浮かぶ。
司馬遼太郎が「真説宮本武蔵」で描く決闘の様子は趣が異なる。武蔵は約束の地に先回り。暗がりで見えにくい中で近づいてきた又七郎を襲撃。そして「武蔵は、眼の前の数人を斬りはらって、山中に逃げこんだ。みごとな喧嘩のうまさである」と評している。
◇
武蔵といえば、佐々木小次郎を破った巌流島の決闘が有名だ。だが、決闘を見守った細川家側の記録「沼田家記」はこう記す。
「小次郎蘇生(そせい)致し候へ共、彼(武蔵)の弟子共参り合せ、後にも打殺し申し候」。木刀で“殴られた”後、間もなく意識を取り戻す小次郎。だが、隠れていた武蔵の弟子たちの襲撃に遭い、絶命したというのだ。真偽は定かではなく、小次郎自体も実在の人物かはっきりしていない。
武蔵には謎が多く、出自も判然としない。養子・伊織が残した「小倉碑文」によると、武蔵は美作(岡山県北東部)に生まれ、兵法家の新免無二の子となっているが、「宮本家系図」では播州(兵庫県西部)生まれで、父は田原甚右衛門家貞。無二は養父と記されている。
家貞の没年が武蔵が生まれる前の天正5(1577)年だったため、「家系図」による播州出自説は劣勢に立たされたが、家貞が天正8年に生きていたことをうかがわせる史料が見つかり、系図の「親」の没年は誤記との見方もある。出自論争は決着していない。
◇
吉川英治が描く武蔵像はどこまで本当なのだろう。
下り松での決闘前、武蔵が必勝祈願に訪れたという八大神社(京都市左京区)の竹内紀雄宮司は「神社に決闘の記録は何もありませんが、決闘は行われたと思います。でも70人というのは多すぎで、いくら武蔵でも十数人が精いっぱいでは」。
武蔵をめぐる論争は昔からあって、中でも有名なのは直木三十五と菊池寛の間で交わされた激論だ。
武蔵は同時代の名だたる剣豪と太刀を交わしていない。集合時間に遅刻して相手をいらつかせる心理戦も仕掛ければ、奇襲も辞さない。直木はそういう武蔵の姿勢をラジオなどで徹底的にけなした。
これに対し、菊池寛は昭和7年10月号の「文芸春秋」で反論。竹刀ではなく真剣で勝負に挑み続け、勝ち星を重ねた武蔵の偉大さ書き連ねた。2人の論争は、当時の新聞に「菊池武蔵と直木小次郎の巌流島の決闘」と称された。
吉川も「決闘」に参加した1人。新聞紙上で武蔵を礼賛した吉川に、直木は「吉川は私の論難に考証的根拠がないのを指摘しながら、自分が何ら考証的根拠を示さず…」と批判する。
直木の批判を受けて、吉川が「宮本武蔵」を書いたことをうかがわせる著書がある。吉川は「随筆宮本武蔵」で多角的に武蔵を分析し、実像に迫っている。直木の批判に対しても「僕はそのまま引き退がるつもりではなかった。宿題として、自分に答えうる準備ができたらお目にかけるつもりだった。以来忘れた事はない」と記している。
吉川の小説連載が朝日新聞で始まったのは昭和10年。直木はその前年に他界している。「吉川英治が本当に読んでもらいたかったのは、直木三十五だったと思いますよ」(竹内宮司)。
小説「宮本武蔵」にフィクションが混じろうとも、それは「考証的根拠」に基づく吉川の演出ではないか。
武蔵の生き方に魅せられるファンは今でも絶えない。吉川の「直木小次郎、敗れたり」という声が聞こえるようだ。(渡部圭介)
■宮本武蔵 江戸初期の剣客で、二天一流の祖。武蔵が記した「五輪書」によると、出生地は播磨になっている。生年も同著で寛永20(1643)年に60歳を迎えたという記述から推測されており、異説もある。島原の乱には養子・伊織とともに出陣。その後、熊本藩の細川忠利の招きで客分となった。熊本市にある「武蔵塚」が墓とされている。剣の道以外にも絵画や彫刻、造園などの諸芸にも秀でていた。水墨画の名手でもあり、重要文化財に指定されている作品もある。
【関連記事】
・
“押井ワールド”今度は宮本武蔵で 来年初夏に新作映画公開
・
【もう一つの京都】源頼朝はニセものだった!? 浮上したナゾを追う
・
【もう一つの京都】男と情事…アニメとはちがう一休禅師
・
【もう一つの京都】エクステつけた清少納言、道長と浮かれた紫式部
・
【もう一つの京都】引っ越し好きの聖武天皇の心はいかに?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090201-00000521-san-soci