2009年02月01日(日) 03時04分
消えぬ宗派対立・テロの影、厳戒の地方選…バグダッドルポ(読売新聞)
【バグダッド=宮明敬、加藤賢治】フセイン独裁政権が米軍の侵攻で倒れた後、テロや宗派間抗争の嵐が吹き荒れたイラク。一種の狂気が支配した時代を生き延びた人々は、一定の治安回復でようやく明日への希望を抱き始める一方、同胞が殺し合った傷跡に今も苦しんでいる。初の民主的地方選が行われたのを機に、首都バグダッドでその現実を見た。
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「異宗派を恐れる必要はない。同じイラク人なんだ」
バグダッド中心部サドゥーン地区の投票所。31日早朝、投票を終えたイスラム教シーア派の警備員アーマル・サルマンさん(37)は、自らに言い聞かせるように話した。「少数派スンニ派がシーア派政権を受け入れるには、時間がかかるだろうが、彼らも社会に復帰しなければいけないのだ」
上空では昼夜、米軍ヘリコプターが飛び交うが、14万人余の駐留米軍は街から消え、イラク治安部隊や、米国の民間軍事会社が雇ったイラク人が検問にあたる。イラクは、独り立ちしつつあるように見える。
だが、治安は脆弱(ぜいじゃく)だ。県会議員を選ぶ地方選は、2005年の前回選挙をボイコットしたスンニ派が参加し、シーア派の議席減は確実だ。投票は同日夕(日本時間1日未明)、妨害テロもなく終了。5日以内には開票状況の公表が始まる予定だが、結果を巡り戦闘が再燃する危険は常にある。
5年ぶりに訪れたバグダッドは、なりふり構わずテロを抑え込む街に変わり果てていた。幹線道路沿いにはコンクリート製テロ防護壁が並び、往来は寸断されている。ある男性は「テロや戦闘がいつ再開するか分からない」と言う。
道路脇に仕掛け爆弾はないか、自爆テロ犯がいないか−−。市民は、すべてを疑う生活を強いられている。
取材は、英国の警備会社が手配する防弾仕様車で移動。襲撃や故障に備え、予備の車が追走する。短銃で武装した警護員が周辺に目を光らせ、街中の取材時間は原則「10分間」だけ。武装組織が外国人記者の居場所を仲間に伝え、襲撃や誘拐する前に立ち去るのだ。
「この国の将来に希望など持てない」。スンニ派の内務省職員サード・アハマドさん(38)は「宗派対立の間、政治家は何もしなかった」と投票を拒否した。
弟と叔父は殺害された。「スンニ派というだけで、いつでも殺される」とおびえ続ける。今でも時折、夜間に銃声や爆弾の音が響くと、6歳と4歳の息子が寝床に飛び込んでくるが、自身の不安を押し殺しながら「抱きしめてやることしか出来ない」。
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「閉まっていた店が開き、人々が昔のように通りを歩いている。街が生き返ったのを見て思わず涙が出た」
バグダッド南西部サイディーヤ地区に住む主婦アイーダ・ヤシンさん(52)は、避難先のシリアから帰還した時の感激を忘れない。首都の治安が回復し始めた昨年8月のことだった。
2003年のフセイン政権崩壊直後は、政権の残党や国際テロ組織アル・カーイダなどイスラム教スンニ派過激組織が駐留米軍やその協力者を襲った。それがいつのまにか、イラク人同士の殺し合いとなった。旧政権時代に抑圧されたシーア派の怨念(おんねん)と政権崩壊後に官職から排除されたスンニ派の不満が、血で血を洗う宗派間抗争を招いたのだ。
バグダッドでは全世帯の4割が、家族のだれかを失った。そして、シリアなど隣国に220万〜240万人が脱出、277万人が国内避難民となった。
その難民の帰還が今、ゆっくりと進んでいる。
ヤシンさんの言葉を確かめようと、夕刻が迫るカラダ地区を歩いた。2階建てや平屋の商店が軒を連ねる市中心部の繁華街だ。
「2、3年前よりも治安は格段によくなった。客も増えたよ」
衣料品店を経営するイブラヒム・アリさん(70)は屈託のない笑顔を見せた。
歩道にまで品物が並び、その間を縫うように、親子連れや若者たちがそぞろ歩きを楽しんでいる。記者に向けられる好奇の目の中に時折、射るような視線を感じる以外は、日常が戻ったように見える。
アリさんは「今日は、昨日より良くなった。明日は、今日よりさらに良くなると信じている」と言う。
◆「牢獄の中」◆
だが、だれもが現状を肯定しているわけではない。バグダッドで最も治安が不安定なサドルシティーの入り口にあたる東部のパレスチナ通りでは、二重のコンクリート塀で道路と遮断された食料雑貨店の奥で、ムンサル・シハブさん(45)が不機嫌な顔を見せた。
「これが普通の生活と言えるか? 塀のお陰で客は車で店の前まで来られない。牢獄(ろうごく)の中で商売をしているようなものだ」
不満は物価の高騰、公共サービスの欠如にも向けられる。特に、電力供給は1日平均6時間。あとは自家発電機に頼るしかない。燃料の軽油や灯油は旧政権時代の70倍に跳ね上がった。
シハブさんは「発電機の維持と燃料代に月700ドルかかる。もうけなどない」と嘆いた。
数百メートルおきに設けられた検問所も、市民の移動の自由を奪う。西部から中心部の職場に通う男性(38)は、「昔は通勤時間が20分。今は平均2時間もかかる」と語った。
◆いびつな自由◆
激しい宗派間抗争は、街をコンクリート塀と検問所で寸断し、生活を不便にしただけではない。人の心性をも変えたように見える。
平和な時代にシーア派の妻と結婚し、シーア派が多数を占めるアル・バヤー地区で暮らすスンニ派の男性(44)は、今も息を潜めて生きているという。
シーア派の第3代イマーム(指導者)フセインの殉教を追悼する宗教行事が続いたイスラム暦の1月には、「隣人たちに怪しまれないように、心ならずもフセインをたたえる旗を玄関に掲げた」。
シーア派民兵組織マフディ軍が地区を支配していた頃は、スンニ派と疑われる名前の一部を消して身分証を偽造し、同軍が発行する通行許可バッジを申請した。今でも、検問の際には、「ドキドキしながら」身分証を使い分ける。相手は内務省治安部隊の制服を着ていても、どこかの民兵組織とつながりがあるのだ。
イランの影響下にある民兵組織から殺害予告を受け、2度も自宅を襲撃されながら、バグダッドに踏みとどまった元情報機関幹部(49)は、周囲に自分の過去も本音も絶対に明かさない。
「イラク治安機関より米軍の方がまだ信頼できる。受け入れてくれる国があれば、すぐにでもイラクを出たい。でも、それは人前で口にできない」
サダム・フセインの独裁が終わり、イラク国民は多大な犠牲と引き換えに、自由だけは得たはずだった。だが、その自由は実にいびつなものでしかない。
叔父と弟を宗派間抗争で失ったサード・アハマドさんは、家族以外は信じられないと言う。
「フセイン時代は、政権批判をしなければよかった。今は隣人にさえ何もしゃべれない。誰が敵で誰が味方なのか、分からないから」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090131-00000073-yom-int