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2009年02月01日(日) 20時04分

<松山事件>再審無罪の元死刑囚の母、斎藤ヒデさん死去毎日新聞

 宮城県松山町(現大崎市)で1955年に起きた「松山事件」で、死刑確定後に再審無罪が言い渡された元死刑囚、斎藤幸夫さん=06年に75歳で死去=の母ヒデさんが08年12月24日、老衰で亡くなっていたことが分かった。101歳だった。次男幸夫さんの無実を訴え、84年の無罪釈放まで29年間、街頭署名活動などを続けた。

 松山事件は、55年10月に町内の農家の焼け跡から殺害された一家4人が見つかった。同12月、県警に強盗殺人容疑などで逮捕された幸夫さんは捜査段階の一時期を除き、否認し続けたが、60年に最高裁で死刑が確定した。

 ヒデさんは、全国行脚して「息子は冤罪(えんざい)」と訴えたほか、69年ごろから仙台市中心部で再審を求める署名活動を実施。78年に夫虎治さんが死去した後も活動を続け、仙台地裁は79年に再審開始を決定、84年に「証拠とされた血痕は捏造(ねつぞう)の疑いが強い」として無罪を言い渡し、確定した。

 再審で主任弁護人を務めた青木正芳弁護士によると、ヒデさんは大崎市内の老人ホームで暮らし、幸夫さんや家族が面会に来るのを毎週楽しみにしていたという。葬儀は近親者のみで行った。青木弁護士は「ヒデさんは母は強しの言葉通り、幸夫さん救出の原動力だった。ご苦労さまの気持ちを込めて『しのぶ会』を開くことも考えたい」と話した。【青木純】

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