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2009年02月01日(日) 16時46分

まちと新幹線の“微妙な関係” 募金で生まれた新尾道駅の事情産経新聞

 昭和39年、東京と新大阪を結ぶ東海道新幹線が開業、47年に山陽新幹線新大阪−岡山間が開業した。50年には博多まで延伸され、関西・中国と北九州が新幹線で連絡された。「夢の」と形容された超特急は平成23年春、ついに山陽新幹線と九州新幹線がつながり新大阪−鹿児島中央間が新型車両で直通運転され、わずか4時間前後で関西圏と南九州圏が結ばれることになる。新幹線がこれまでに沿線のまちづくりにもたらした効果は図り知れない。

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 ■都市に新幹線効果

 昨年11月30日、山陽新幹線博多駅で0系新幹線の定期運転終了セレモニーがあった。0系こだま号と新型車両が入構するなか、ホームにはカメラを手に0系への名残を惜しむ大勢のファンの姿があった。JR西日本の嶋哲久・福岡支社長は「44年前、0系車両は東京と新大阪を4時間で結んだ。23年春には奇しくも同じ4時間で新大阪と鹿児島中央が結ばれる。新型車両は0系同様、夢と希望を運んでくれると期待している」とあいさつした。

 新幹線の整備は確かに地域に大きな経済効果をもたらした。観光客やビジネス客が増え、受け皿としてホテルなどが駅周辺に建つ。駅前は再開発され商店街は近代化されてデパートなどが進出、一般企業の支店や出張所が集まり、拠点性が高まる。広島市や岡山市など瀬戸内の中核都市はこうした“新幹線効果”で発展をたどってきた。

 ■募金でできた新尾道駅

 新幹線は、東京−下関間に広軌の線路を新設して高速列車を走らせ、将来は朝鮮に海底トンネルで連絡、満州まで延伸する戦前期の「弾丸列車計画」がベースになっている。戦時中の昭和17年に着工されたが、戦争激化で中断され戦後再浮上した格好だ。

 この計画では広島県内には「広島」と「尾道」の2駅ができるはずだった。しかし44年11月、国鉄が運輸相に山陽新幹線の駅とルートの認可申請をした際、ペーパーに尾道の駅名はなかった。前年から広島、愛媛、島根県内の市町村による「山陽新幹線尾道停車実現期成同盟会」が運動を始めていたが、関係者を落胆させた。

 50年に山陽新幹線が全通し、「新幹線が素通りするまち」となった尾道市。54年の入り込み観光客数は49年比で約100万人も減少した154万人になった。造船業の衰退で商都にかげりが深まった。新幹線駅が整備された三原市を横目に市民は地団駄を踏んだ。

 やがて地元負担で新駅が開設できる制度ができ、「燃えあがれ 熱意で停めよう新幹線」をキャッチフレーズに官民一体の誘致組織による募金運動が始まった。チャリティーイベントも盛んに行われ、一般市民や企業などから30億円を超える募金が集まった。59年10月、念願の新尾道駅の設置が決まり、東広島駅などと同時に「請願駅」として63年に開業、市民は喜びに沸いた。

 ■ひかり停車が“復活”

 開業後、周辺では宅地開発が進んだが、駅前に広島市や岡山市のようなにぎわいはない。中心市街地から北へ約3キロも離れた単独駅とあって、多くの市民がJR尾道駅から山陽本線経由で福山駅に行き、新幹線に乗り換える。新尾道駅の一日乗降客数は当初見込みの3100人を下回る2200人程度と低迷、JR西日本は平成9年、「ひかり」の停車をやめた。

 しかし、市の要望が実り、昨年3月のダイヤ改正で午前6時台に東京行き「ひかり」と新大阪行き「ひかりレールスター」の2本停車が実現。さらに今年3月からは午後11時すぎ、広島行きの最終の「ひかりレールスター」も停車が決まり、下りでもひかりが復活する。

 市は「一昨年に物流拠点となる県の流通団地が市内に整備され、今後ビジネス客が増える。さらに松江市と連絡する高速道路が完成するとしまなみ海道と合わせ“瀬戸内の十字路”として新幹線の利用ニーズが高まる」(政策企画課)と話す。ひかり号の停車は“商都復活”に向けた期待のシンボルでもある。

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