ビジネスマンや家族連れ、外国人が行き交うパレスホテル1階ロビー。スーツ姿の男性2人が現れると、先回りしてエレベーターの下りボタンを押し、「行ってらっしゃいませ」と声をかけ、笑顔で見送った。
岩田一(59)は、接客のスペシャリスト「ゲストリレーションズマネジャー」。ホテルの顔でもある。
下りボタンを押したのは、男性客が同じ大きさやデザインの紙袋を三つ下げていたためだ。「接待で渡すお土産でしょう。そういうお客様のほとんどは地下のレストランを利用されます」
入社から37年、客のどんな様子も見逃さない。
池袋で生まれ育った。幼時から人と話すのが好き。近所の日系人宅で遊ぶのも楽しみだった。自然な流れでホテル業界を志望し、1972年に専門学校を卒業。大阪万博の影響もあって空前のホテルブームの中、パレスへの入社を決めた。
ベルボーイやフロントなどを経て、2002年、今の肩書に。6人の部下とともに客の様々な要望に応えようと動き回る。ロビーには専用デスクもあるが、座ることはまずない。
羽田空港や丸ビルなど、客が利用しそうな施設には休み返上で足を運び、交通手段やビル内の店舗などの情報を頭にたたき込む。
もてなしの持論は「千人千色」。どんなに丁寧でも、同じサービスですべての客を満足させることはできない。客にはその人数だけ好みがあり、可能な限り多くの選択肢を提供するのがプロだと考える。
昨年春のこと。結婚式で「衣装の下に着るアンダードレスを忘れた」と出席者の女性が泣きそうな顔をしていた。色の合わないものを用意すれば、薄いドレスに透けて恥をかかせてしまう。岩田らはホテル内を奔走し、テーブルクロスや女性職員の制服など、考えられる限りの代用品を集め、女性の前に並べた。なんとか女性が満足してくれるものが見つかったという。
◇
「千人千色」の信念は、客と直接に顔を合わせない職員にも根付いている。施設課の大塚正義(75)は、もとは大工としてホテルの建設に携わった。「一般の家では見られない高級材料が使われていた」内装にほれ込んでパレスに入社、いすや扉などの修繕を担う。ホテル中にある植え込み植物を管理する施設課の藤倉道夫(59)は、「常にお客様に鮮やかな緑を」とホテル10階の温室で汗を流す。2人とも岩田の目には「どんなお客様も満足してくれるようベストを尽くす仲間」と映っている。
6月に定年となる岩田は、3年後の営業再開を現場で迎えるのかは分からない。ただ、「パレスは今と変わらぬもてなしの心で、お客様を迎えているはず」と確信している。(敬称略)
◇
この連載は金杉康政、横溝崇が担当しました。