弁護人「被害者からの暴力の頻度は?」
被告「毎日のようにあった」
弁護人「(被害者を)刺したのはなぜ?」
被告「暴力をやめてほしかったので、(包丁で)脅そうと思った」
昨年10月16日、東京地裁の713号法廷。殺人未遂罪に問われた中村あゆみ被告(23)がうつむきながら答えた。
事件が起きたのは、同6月11日夕。119番で救急隊が東京都北区のワンルームマンションに駆けつけると、部屋では通報した男性が背中から血を流しており、同居していた中村被告も倒れていた。
法廷で、男性は「うつぶせで寝ていたところ、いきなり背中を刺された」と証言。被告は「暴力をふるわれそうになり、とっさに包丁を突き出した」と述べた。
被害者と加害者しかいない「密室」の事件で、両者の言い分が食い違う。裁判員裁判であれば、裁判員が悩みそうなこのケースの審理はどう進んだか。
10月16、17日に連日審理、27日に判決。公判前整理手続きでは、裁判員裁判とほぼ同じペースの日程が組まれ、主な争点は、被告に殺意があったのか、それとも自分の身を守るためにやむを得ず反撃した正当防衛だったのか——に絞られた。
「ここを突けばいい」。弁護人は同手続きの中で、ある証拠を検察側から引き出すことに成功していた。
「被告が日常的に男性から暴力(DV)を受けていたことを裏付ける証拠があれば開示してほしい」と求めたところ、検察側はマンションの隣人の調書を開示した。そこに、「男性が暴力をふるっているような物音や助けを求める女性の声が連日のように聞こえた」というくだりがあったのだ。弁護人はこの調書の概要を法廷で読み上げ、「事件当日も、男性から殴られそうになった」と主張した。
一方、検察側にも「切り札」があった。背中に深さ13・6センチ、腎臓に達する傷を負った男性は、病院でコンピューター断層撮影法(CT)による診断を受けていた。検察側は専門家に依頼し、複数のCT画像を組み合わせて傷の状態が一目で分かる立体画像を作製。法廷で大型スクリーンに映し出し、「傷の深さなどから、殺意があったことは明らか」と強調した。
10月27日。懲役8年の求刑に対し、福崎伸一郎裁判長(56)が言い渡した判決は懲役3年だった。隣人の供述などから、日常的なDVを認定。被告は突然立ち上がった男性から危害を加えられると誤解して包丁を向けたが、背中を刺したのは行き過ぎだと結論づけた。正当防衛こそ認めなかったものの、弁護側の立証が功を奏した形で、検察側は控訴した。
裁判員制度の対象事件で2007年に判決を受けた被告のうち、約37%が起訴事実を否認している。
事実認定を争う事件について、東京地検の青沼隆之・特別公判部長(53)は「裁判員裁判では、現場に残された指紋や殺意を推認させる傷の深さといった客観的な証拠がこれまで以上に重要になる」と言う。
一方、刑事弁護に詳しい後藤貞人弁護士(62)は「公判前整理手続きの導入で証拠開示が広がり、反論の証拠を得やすくなった。弁護人はそれを活用し、ポイントを絞った主張をする必要がある」と指摘する。
東京地裁の池田修所長(61)は「相反する供述を見極める場合、裁判官は他の証拠との整合性や、供述に不自然さがないか注目する」と説明し、こう期待する。「様々な経験を持つ裁判員が加われば、裁判官が気づかない点も指摘され、さらに議論が深まるだろう」