2009年01月26日(月) 17時01分
【神隠し公判】「自身の生命で罪を償わせるべき」 検察側論告(7完)(産経新聞)
検察官が法廷で読み上げた、星島貴徳に対する住居侵入、わいせつ略取、殺人、死体損壊、死体遺棄事件の論告の要旨は次の通り。
■愚弄、欺き…悪質な犯行態様
逆に、今回の事件は他の3つの事件(前橋事件、奈良事件、三島事件)と比較し、被害者の自宅に侵入し、殴りつけて縛るなどして反抗を抑圧して略取した▽微塵に至るまで著しく死体を損壊し尽くした▽被害者の尊厳を愚弄する態様で遺棄した▽冷然と捜査機関や社会を欺いて時間を稼ぎ、徹底した罪証隠滅工作を行った−ことにおいては、より悪質と言えます。
突然、包丁で首を刺して押さえつけ、大量に出血させるために約5分後にあえて包丁を抜き去って失血死させたという殺害態様は、被害者の首をコードで締め上げた前橋事件、被害者を浴槽で溺死させた奈良事件、被害者が生きたまま火をつけて焼き殺した三島事件と、その態様が被害者に与えた苦しみが想像を絶するほど大きいという点で異なるところはなく、刑を選択するうえで考慮すべき有意な差とはなりません。
東城瑠理香さんは年齢が当時23歳と、これら3つの事件の場合と異なって成人に達していますが、将来を夢見る若い女性であったうえ、これまで述べてきた通り、星島貴徳被告に対して抵抗する術がなく、極度の恐怖と不安、苦しみと無念の中で、尊い命を絶たれたことについて相違はありません。被害者の年齢のわずかな相違が、刑を選択するうえで考慮すべき有意な差になるとは考えられません。
従って、総合すればこれら3つの事件と今回の事件との間に、刑を選択する上で考慮すべき有意な差はないものと結論づけることができます。
■最高裁の死刑基準と照らして…
死刑とは、人間存在の根本である生命そのものを奪い去る極刑です。
昭和58年7月8日の「永山事件」の最高裁判決は、犯行の罪質▽動機▽態様、特に殺害の手段方法の執拗(しつよう)性▽残忍性▽結果の重大性、特に殺害された被害者の数▽遺族の被害感情▽社会的影響▽犯人の年齢▽前科▽犯行後の情状−などを併せて考察したとき、その罪責が誠に重大であって罪刑均衡の見地からも一般予防の見地からも、極刑がやむを得ないと認められる場合には、死刑の選択も許されると判断し、考慮される重要な量刑要素を列挙して明らかにしました。
そして、この永山事件の判断が示した量刑基準は死刑適用の一般的基準として、その後のいくつもの最高裁判決によって、その内容が明確化されてきました。
その中で、平成18年6月20日の「光市母子殺害事件
」の最高裁判決は、永山事件の判断で示した犯行の罪質▽動機および経緯▽態様▽結果の重大性▽死体損壊などの犯行後の情状▽遺族の被害感情▽社会的影響−を総合すると、「被告人の罪責は誠に重大であって、特に酌量すべき事情がない限り、死刑の選択をするほかないものといわざるを得ない」としています。
その上で、特に酌量すべき事情の有無について検討を行い、「殺害についての計画性がないことは、死刑を回避する特に有利に酌むべき事情と評価するには足りないものというべきである」としました。
光市母子殺害事件での被告が「犯行時、18歳になってまもない少年であったことは、死刑を選択するかどうかの判断にあたって相応の考慮を払うべき事情ではあるが、死刑を回避する決定的な事情であるとまではいえず、本件の罪質▽動機▽態様▽結果の重大性▽遺族の被害感情−と対比・総合して判断する上で考慮すべき、ひとつの事情にとどまる」と示しました。
この判決により、永山判決が列挙した情状のうち犯行自体にかかわる情状、つまり犯情を基本に考察し、これにより罪責が誠に重大であるときは、年齢、前科などの犯罪的傾向、反省などの犯行後の情状、改善更正の可能性など被告人の属性にかかわる主観的情状のみでは死刑を回避すべき決定的な事情とはならず、死刑を回避するに足りる「特に酌量すべき事情」が認められない限り、死刑を回避できないとの判断基準が示されたものと解することができます。
■「特に酌量すべき事情を認められない」
事件は、星島被告自らの保身のため、東城さんの存在を消し去ったものです。
被告は、東城さんの人格を踏みにじって獣欲の標的とし、自分の「性奴隷」として、物同様の支配下に置くことを企て、自ら招いた警察捜査の開始という事態に対し、急転して東城さんを犯行を裏付ける証拠となる危険で邪魔な存在と考え、東城さんの人格や生命、尊厳を踏みにじり、ためらうことなく殺害してバラバラに損壊し、汚物やゴミ同様に遺棄しました。
この事件の罪責は、誠に重大です。
過去に類を見ない、人を人とも思わぬ、悪質きわまりない犯罪です。
永山判決や光市母子殺害事件判決が示した考え方に基づいて考察するとき、今回の事件は犯情に照らせば、被告が現在34歳であること、前科がないこと、一応は罪を認めて反省の姿勢を示していることなどは、死刑を回避するに足りる「特に酌量すべき事情」とは認められません。
罪刑の均衡の見地からも、一般予防の見地からも、被告を自由刑に処する余地は到底認め難く、被告自身の生命をもって、その罪を償わせるべきだと考えます。=(完)
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