1967年、ハリウッド社会派のスタンリー・クレイマー監督は、黒人エリート医師と白人女性との結婚話を描いた映画「招かれざる客」(邦題)で、米社会の人種差別に強烈な問題提起を行った。
新聞社主でリベラルを自任する娘の父親が苦悩の末、結局結婚を認める物語なのだが、白人と黒人の結婚がなお全米16州で禁止されていた時代に、異人種間の初キスシーンも含め大きな衝撃を呼んだ。
劇中、黒人俳優の草分け的存在、シドニー・ポワチエ演ずる医師が父親に子供について聞かれ答える場面がある。「彼女は、子供はみんな大統領になって、多人種の政権を作るって考えています」
42年後、このセリフは現実となった。ケニア人の黒人男性とカンザス州の白人女性との間に生まれたエリート政治家バラク・オバマ氏が、一気に権力の頂点ホワイトハウスの主(あるじ)となった。
初の黒人大統領。公民権運動の究極の到達点であり、米国の民主主義の輝きを示す人類史的出来事であることは論をまたない。だが、むしろ、わずか40年程度の時間の流れの中で、かつての不可能が可能になる——そんな米国のダイナミズムにこそ、凄(すご)みを感じる。
今後、オバマ氏の言葉、行動すべてが「歴史」になる。では、歴史はオバマ大統領に何をさせようとしているのか。混迷のブッシュ政権2期8年を経て、米国一極支配の終焉(しゅうえん)、多極化世界の到来が言われて久しい。世界では今、米国はなおナンバー1の大国であり続け、国際社会をリードするとの米国健在論と、米国の力の凋落(ちょうらく)は止めようがないとする衰退論がたたかわされている。オバマ氏の責任は、この相反する潮流の狭間(はざま)に漂う米国に適切な羅針盤を取り付け、その健全な再生に着手することだ。失敗はそのまま、衰退論の定着につながる。
オバマ氏の最大の武器は、異論を持つ他者の意見に耳を傾け、「Yes We Can(我々はできるんだ)」の「We(我々)」の中に取り込んでいくマジックにも似た包容力にある。米国と世界の双方に役立つ、オバマ大統領の「We」をどこまで広げられるか。「黒人初」の次元を超え、真の偉大な大統領として歴史に刻まれるかどうかはそこにかかる。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090121-OYT1T01153.htm?from=main3