2009年01月20日(火) 18時58分
【書評】『逢えてよかった』少年少女を見下す大人への怒り(ツカサネット新聞)
本書は少年少女の更生に尽力する著者(石原伸司)の活動記録である。著者は暴力団組長であったが、引退後に作家となった。現在は作家として活動しながら、渋谷センター街などの繁華街を夜回りし、一人でも多くの少年少女を悪の道から救おうとしている。いつしか著者は「夜回り組長」と呼ばれるようになった。
本書の特色は著者が非行に走る少年少女達と正面からぶつかっていることである。綺麗事や理屈ではなく、体当たりでぶつかっている。それ故に少年少女から真実を引き出せている。実際、本書ではリストカットを繰り返す両親や娘に売春を要求する親など、非行に走った少年少女達の衝撃的な家庭環境が明かされている。これらは当人にとっては中々他人に話せない内容である。それを聞き出せただけでも、著者が少年少女から信頼されていることが分かる。
そして著者の優れている点は現代の少年少女が置かれている厳しい社会環境を問題として認識していることである。現代の少年少女は、過去の世代と比べると物質的には豊かであり、はるかに恵まれている。そのため、現代の少年少女の非行を物質的豊かさ故の精神的病理と分析する向きもある。
しかし、この種の分析には落とし穴がある。非行に走る少年少女は甘やかされて育った現代っ子特有の贅沢病と突き放すことになりかねないためである。それは少年少女の苦しみから目を背け、「最近の若い者は」的な無意味な批判に陥ることになる。そして自衛隊に入隊させて性根を叩き直せば良いという類の間違った解決策を生み出すことになる。
これに対し、著者は現代っ子が昔以上に大変な状況にあると認識している。故に著者は「最近の若い者は」と無意味に偉ぶることはしない。これが著者の夜回りの大きな成功要因である。当たり前のことのように思えるが、これは非常に大変なことである。著者自身は敗戦後の焼け野原の中を浮浪児として過ごしている。食べることや寝る場所を探すことに苦労する少年時代を送っていた。生物的な意味で生きることの大変さは現代っ子の比ではない。
著者は「悪の道を歩いてきた自分だから、非行少年少女を受け止められる」と言うが、それほど簡単ではない。むしろ凡人ならば「俺の方が苦労している。それに比べて最近の若者は……」となってしまうのではないか。その意味で少年少女の苦しみを受け止められる著者の共感力には非常に優れたものがある。
その著者が本書で少年少女が荒れる原因を端的に説明している。それは以下の文章である。
「子供を軽く扱い、軽視する、そんな大人の態度は子供にもわかる。子供がイラつき、キレる原因はこれだろう」(117頁)。
記者(=林田)は東急不動産(販売代理:東急リバブル)から不利益事実(隣地建て替え)を説明されずに新築マンションを購入してしまった経験がある。これは裁判にまで発展するトラブルになった。
記者の怒りは騙し売りをされたことに対して向けられただけではなかった。「たらい回しにしておけば泣き寝入りするだろう」というような消費者を見下す東急リバブル・東急不動産の不誠実な姿勢にも怒りをかきたてられた。それ故、著者の分析には大いに共感する。
記者には東急リバブル・東急不動産という明確な敵、分かりやすい悪があった。しかし、子ども達の場合は漠然とした大人社会に対する反感となってしまい、怒りの明確な対象が見えにくい。その結果、自分や身の回りの人を傷つける方向に向かってしまう。ここに大きな悲劇がある。
少年少女の問題は当の少年少女ではなく、大人が大人の視点で論じるため、どうしても少年少女の現実を無視した的外れな議論となってしまうという限界がある。その中で本書は少年少女と正面からぶつかった力作である。少年少女の置かれた状況を理解するために多くの人に読んでほしい一冊である。
『逢えてよかった—夜回り組長にココロを預けた少女たちのホンネ』
石原伸司 著
産経新聞出版発行
日本工業新聞社発売
2008年8月8日発行
243頁
(記者:林田 力)
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