記事登録
2009年01月19日(月) 19時00分

足利将軍の菩提寺・常光円満寺【吹田】ツカサネット新聞

慧日山・常光円満寺(大阪府吹田市元町)は行基によって開かれた高野山真言宗の寺院である。JR京都線(東海道線)吹田駅及び阪急北千里線吹田駅から共に徒歩5分の場所にある。JR吹田駅は大阪の新幹線の玄関口・新大阪駅から2駅である。大阪に立ち寄った際にふらっとアクセスできる立地である。

常光円満寺は市街地の中にあるが、西暦736年(奈良時代)に開かれたという歴史のある寺院である。摂津国八十八箇所の第42番の霊場でもある。境内は自由に入ることができる。

開山の行基は鎮護国家の仏教であった奈良時代において積極的に民衆救済に取り組んだ僧である。そのため朝廷から弾圧されたこともあったが、やがて影響力が朝廷にも認められ、行基は東大寺の大仏造営にも協力することになる。常光円満寺は行基の布教道場として始まった。
室町時代には将軍・足利義満が深く帰依し、足利将軍の菩提寺になった。本堂(浜の堂)正面の香炉には二つ引両(足利将軍家の家紋)が描かれており、足利家ゆかりの寺であることを示している。往時は広大な寺領荘園を保有して繁栄していたが、応仁の乱で全焼してしまった。再建されたのは江戸時代になってからである。

現在では水子供養で有名である。境内の絵馬掛に掛けられた絵馬には「産んであげられなくてごめんね」などと書かれえたものも多く、水子供養の寺院であると改めて認識した。常光円満寺はウェブサイトでも水子供養のお寺であることを前面に出している。遠隔地や事情があって参詣できない人向けにネットからも水子供養を受け付けている。供養料の支払いはコンビニ払いも可能であり、近代化されている。

常光円満寺では水子供養の他にも厄除けや安産祈願をしている。水子供養は地蔵堂、安産祈願は七福神両天堂と別々のお堂で行っている。日本仏教は葬式仏教と揶揄されることもあるが、常光円満寺では人々の救済に目を向けているように感じられた。民衆と歩んだ開山の行基の精神を受け継いでいる寺院である。

■常光円満寺



(記者:林田 力)

■写真
写真撮影:林田 力記者

■関連記事
林田 力記者の書いた他の記事
「地域・地域情報」カテゴリー関連記事

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090119-00000012-tsuka-l27