2009年01月18日(日) 12時22分
実力に人気が追いついた 落語家・桂吉弥(産経新聞)
サッカーが大好きで、テレビ中継は家で見ていた。だが昨年は、楽屋だったり、移動中の新幹線でのときどき映像が乱れるケータイだったり、到着した駅の待合室で試合終盤の10分だけだったり…。「ゆっくり見たことなかったですねえ」
小朝、ブログで泰葉にエール「いい男見つけて」
若手の実力派として知られていたが、NHK朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」への出演で人気が一気に加わった。終盤に近づいた昨年2月ごろから急に忙しくなり、「大きい波がワ〜っときた感じ」で、以来休みは月平均1日か2日。
地方の落語会に桂米朝一門の1人として参加することはあったが独演会はなかった。それが、吉弥独演会をぜひという依頼が増えたのだ。「こうなったらいいなあと思う倍以上の仕事があり、吉弥の名前で呼んでもらい、大勢のお客さんに来ていただいた。こんなうれしいことはないです」
昨年末、天満天神繁昌亭大賞など2冠に輝き、今やチケットがさっと完売してしまう噺家になった。
× ×
かつて上方落語を全国に広めようと米朝、枝雀らが積極的に地方を巡った。そのときの縁が、いまも各地のホール関係者との間にしっかり根付いている。
「その土地、その土地に落語の土壌ができていて、僕らのような若手がいくと、よう頑張ってるなというお客さんの励ましを感じるんですよ」
そうした先達の努力に報いるには、全力をあげて楽しんでもらうしかない。
端正な米朝落語を、最もよく受け継いでいた吉朝を師匠に選んだ。「(咄の)この部分だけ分かってくれたらいいよという独特のギャグの作り方が、たまらなく好きだった」のだ。テレビ出演は少なくマスコミの売れっ子ではなかった師匠だが、落語会を満員にする力があった。
「今はテレビに出ただけであっという間にやれてしまうことがある。時代が違うとは思いますが、その安易さに浸っていていいのかと思うことはあります」
押し寄せる人気に浮つかず、前を見据えている。
× ×
『母の誕生日プレゼントにチケットを買って2人で来ました。あんなに笑った母を久しぶりに見ました』−−。会のアンケートに“落語の力”をしめす、ほっこりするような言葉が綴られるようになったという。「これって、ほんとにいい仕事をしていると思いますよねえ」。天職とでも言いたげな、愛嬌ある笑顔がひろがった。
今年5月、ひときわ感慨深いときを迎える。米朝が始め、枝雀、ざこば、南光らが続いて独演会をやり、一門みんなが特別の思いを持つサンケイホールが新築され、サンケイホールブリーゼとして再開。一門の会も復活、第1回「桂吉弥独演会」を1日に開くのだ。
吉朝がこだわりを持って毎年楽しみながら臨んでいた5月を担当することになったからで、「何か仕掛けるか、それとも……早めに準備していきますよ」
文・金森三夫
写真・飯田英男
■かつら・きちや 本名・富谷(とみや)竜作。昭和46年2月25日生まれ、大阪府茨木市出身。神戸大教育学部を卒業し平成6年に吉朝に入門。同12月に初舞台。米朝落語をよく継ぎ50歳で亡くなった吉朝の教えを体現する正統派。昨年末、天満天神繁昌亭大賞、文化庁芸術祭新人賞を受賞。NHK「バラエティー生活笑百科」などに出演。サッカー好き。
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