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2009年01月17日(土) 15時49分

【週末に読む】「知の巨人」が問う産経新聞

 人類学者クロード・レヴィ=ストロースは、元気に100歳の新年を迎えた。まことにめでたい。いま世界で起きているのは、悪いことばかりではない。

 「心からお祝いと感謝の気持ちを捧げたい」

 写真家の港千尋は、新著『レヴィ=ストロースの庭』(NTT出版)で、挨拶を贈った。ここで語られるのは、かって田園の別邸に教授を訪ねたときの思い出である。

 書斎の窓から広々とした庭が見えた。小川が流れ、池には水鳥が姿を映していた。庭の道をたどると、フランス東部ブルゴーニュの森へ続いていた。

 庭に立って、写真家は遙かに遠く思いをはせる。それは、教授の著書で出会った南米やオーストラリアの風景である。

 「庭は森と家との間にある。つまり自然が文化へ変化する空間であった」

 レヴィ=ストロースこそ「知の巨人」と呼ぶにふさわしい。愛弟子の川田順造は『思想』誌特集号(岩波書店)で恩師の巨大な足跡について語った。

 「一貫して自然と文化の関係を追究された」

 その「構造人類学」が登場して半世紀になる。そのとき、実存主義のサルトルとの間で有名な論争がもちあがったのは、きわめて印象的であった。

 同じ雑誌特集号で澤田直は、この論争を再検討した。歴史と人間をめぐってサルトルは現代西欧側に立つ。レヴィ=ストロースの発想は、対極に位置する。

 「人間とは、太古から現在まで世界のどこにでも生きる普遍的な存在である」

 いまふり返ると、どちらの思想に共感できるか、もはや明らかであろう。私たちは、レヴィ=ストロースとともに西洋近代文明そのものを根底から問い直しはじめたのである。

 「わたしは、旅や探検家が嫌いだ」

 逆説的な書き出しは、忘れられない。あの名著『悲しき熱帯』(中央公論)の日本語訳が出版されたとき、偉大な著者はまだ日本を訪れていなかった。

 その後、訪日は五度に及んだ。それほど日本に強い関心を示した。メーン・テーマの自然と文化の関係について日本を貴重なモデルとみたのである。

 1986年来日のさいの講演は、大きな反響を呼んだ。『レヴィ=ストロース講義−現代世界と人類学』(平凡社)として読むことができる。

 「現代国家で日本だけが人類の矛盾を克服する生き方をつくり出した」

 あらためて読み直すと、私たちは複雑な気持ちになる。日本において、いわば伝統と革新の間の絶妙なバランスは、すでに危機に直面しているではないか。

 21世紀を迎えて、教授は日本の読者へ向けてかさねてメッセージを届けている。著書の「中公クラシック版」のために、あらためて語った。

 「人類の危機とは、自らの根源を忘れてしまうことである」

 レヴィ=ストロースが人類学で問い続けたのは「未開」ではなく「根源」なのである。だから戒めた。

 「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」

 人類の思いあがりにこれほど痛烈な言葉はない。(山田愼二)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090117-00000098-san-soci