2009年01月17日(土) 15時49分
阪神大震災14年 「神戸忘れない」フルート少年、仲間と参加(産経新聞)
■「心の灯り」ともす
6434人が犠牲になった「あの日」から、14年。阪神・淡路大震災の被災地は17日早朝から静かな祈りに包まれた。寒風に揺れるろうそくの灯、震度7の激震に耐え抜いた「神戸の壁」、被災者の心身を温めたドラム缶で作った鐘…。「あの日の悲しみを、決して忘れない」。各地で遺族が、被災者が、そして直接は震災を知らない世代も、鎮魂の祈りをささげた。
鎮魂の祈りに包まれた神戸市中央区の東遊園地に、フルートの音色が響いた。「毎年1月17日に東遊園地でフルートを吹く」。東京に住む一人の少年が、遺族の男性と約束を交わしたのは5年ほど前。以来、少年は毎年この日に神戸を訪れ、犠牲者にささげるフルートを奏でてきた。被災地を思うその思いは神戸を遠く離れた東京から少しずつ広がり、今年は50人近い仲間が集まった。「僕たちは神戸を忘れていない」。その思いを、届けるために。
少年は東京都練馬区の区立関中2年、土肥直貴君(13)。母親で女優の京町(みやこ)さん(48)=芸名=の実家は震災で全壊。東京から駆けつけた京町さんは身重の体でボランティアに奔走し、震災の2カ月後、設備の整わない病院で直貴君を出産した。
京町さんはその後も震災を題材にした劇を上演し、震災に強い思いを持ち続けた。7年前の平成14年1月、小学1年生だった直貴君に震災のことを伝えたいと、犠牲者を追悼する「希望の灯(あか)り」の分灯を提案。2人で灯りを練馬区に届けた。
この時灯りを分けてくれたのが、震災で大学3年生の長男を亡くした白木利周(としひろ)さん(66)だった。「心の中にずっと灯りをともしていてね」。直貴君は、優しい白木さんを「白木のおじちゃん」と慕うようになった。
当時学校になじめないでいた直貴君に、白木さんが勧めたのがフルート。「灯りをもらったお礼に、毎年1月17日に音楽を届ける」。直貴君はそう約束した。最初はなかなかうまく吹けなかったが、年々上達した。
そして今年も、直貴君のフルートは澄んだ音色を響かせた。「上手に吹けたかな」。照れる直貴君に、白木さんは「またうまくなったな」とうれしそうに声をかけた。
直貴君は分灯をきっかけに毎年のように「1・17のつどい」に参加し、ボランティアとして白木さんを手伝っている。だが昨年、白木さんのこんな言葉にショックを受けた。「このままじゃ、来年は『1・17』の灯りがともせないかもなあ」。白木さんは「つどい」のボランティアの高齢化と、後継者不足を心配していた。
「つどいの灯りがなくなったら、神戸に行く理由がなくなる。おじちゃんとの約束が守れなくなる」
直貴君は東京に帰り、1年間でたくさんの人に声をかけた。練馬区、ボランティア団体、神奈川県の高校生たち、かつて白木さんと「灯り」を届けた三宅島の人々−。思いは少しずつ広がり、50人もの仲間が「つどい」に参加することになった。
直貴君は震災を知らない。しかし、母の思いを受け継ぎ、白木さんと出会い、「つどい」に集まる遺族や東京の仲間たちとの交流を通して、震災を伝えていくことの大切さを強く感じている。
「僕たちは神戸を忘れていない。その思いを今年はいつもよりもたくさん、神戸の人に伝えたい」。来年も再来年もその先もずっと、大好きな「白木のおじちゃん」との約束を守り続けるつもりだ。
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