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2009年01月17日(土) 15時07分

清少納言が“エクステ”、紫式部は道長と… 平安2大作家の実像とは産経新聞

 平安時代、宮廷に仕える教養深い女房たちによって文芸サロンが花開いた。紫式部の「源氏物語」や清少納言の「枕草子」はその代表的な文学だ。紫式部と清少納言。誰でも知っていると思いきや、実は多くが謎に包まれている。そもそも名前さえ分からない。

 両者とも、その名は家の名前に父親などの役職名をミックスして呼ばれた女房名。

 紫式部の父親は藤原為時で、式部省の役職に就いていたため、女房名は藤原式部。後に源氏物語が有名になり、ヒロインの紫の上にちなんで紫式部と呼ばれるようになったらしい。歌人で学者の清原元輔が父親の清少納言も、少納言の役職の人が身近にいたのだろう。

 もちろん本名は別にあったはずで、紫式部は藤原清子、清少納言は藤原諾子(なぎこ)とする説もあるが、真偽は不明。よほど高貴な姫でないかぎり、詳細な記録は残っていない。

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 紫式部は幼いときから文才にたけ、父から「男の子だったらよかった」と言われたと日記に記している。年上の藤原宣孝と結婚し、娘の賢子を産んだが、間もなく夫を亡くす。そのころから突然、世の無常を和歌に詠み始める。

 京都学園大の山本淳子教授は「のんびり過ごしていたのが、夫を亡くして人生観が変わったのでは」とみている。その心境を映すように、源氏物語の登場人物の多くも若くして死んでいく。一方で、世は無常でも心は自由だと感じ始める。山本教授は「悲しみ悩んでいても気づけば笑い、次に何をしようかと考えている心の不思議に気づいたのでしょう」と話す。

 その後、時の権力者、藤原道長から一条天皇の教養係を任される。内向的でマイペースな性格で、他の女房の嫉妬が渦巻く宮仕えは気が重い。考えた末、おっとりした「天然キャラ」を演じる。すると周りの女房たちは、「嫌なインテリ女かと思っていたけど、意外といい人ね」。今も昔も変わらない処世術なのだろう。

 浮いた話もある。相手はなんと道長。日記にも道長と思われる男性にちょっかいを出された記述があり、室町時代に編纂された家系図には、道長と紫式部の関係がにおわされている。

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 清少納言は朗らかな性格で、宮仕えを楽しんでいたらしい。

 結婚し、男の子を産むが離婚。その後一条天皇の后・中宮定子に仕える。「一途に夫を愛して家庭を守るのではなく、宮仕えをして世界を広げると、結婚後も内助の功を発揮できる」との持論もあった。

 枕草子では、美意識や観察力、表現力を軽快に発揮。同時にその才能を「自分で書きたくないんだけど…」と言いながら、ちゃっかり披露もしている。

 自己主張の強い半面、男性の前ではしおらしい部分もちらり。愛おしい人を思って涙する詩を詠み、しなだれてみることも。時にはアバンチュール的な恋も楽しんだようだ。

 だが容姿には自信がない。髪は癖毛で、現代のエクステンションのような付け毛も使っていたらしい。この点は紫式部も同じで、「美しい人でも泣いたらみっともなくなるのに、まして私の場合は」と自虐的だ。

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 2人はライバルで仲が悪かった、という噂がある。紫式部が仕えたのは、同じ一条天皇の后・中宮彰子。対抗心はあったかも知れないが、宮廷内でにらみ合うことはなかった。宮仕えは清少納言が先輩で、2人が仕えた時期にはズレがある。

 が、紫式部は日記に痛烈な悪口を書く。清少納言は得意げな顔をし、漢才をひけらかすなどしているけれど、格好だけで中身のない人だ、と。それより以前に清少納言は、紫式部の夫の衣装が変だった、などと枕草子で書いており、その仕返しをしたのだろうか。

 この紫式部の清少納言批判は、定子が若くして死んだ後のこと。山本教授は「定子没後も定子時代を懐かしむ風潮があった。彰子を応援したいあまり、定子に仕えた清少納言にクギを刺すという政治的な背景もあったのではないか」と分析する。

 宮仕えを終えた後の2人の消息はほぼ絶える。生まれたときの名前もはっきりせず、どんな最期だったのかも分からないまま。それだけに、後に多くの想像や説話を生んだ。

 清少納言は定子没後に落ちぶれて酷い生活を送ったとか、紫式部は空想の物語を書いて人々を惑わした罪で地獄へ堕ちたとか。「いつの時代も2人は民衆の注目の的だった証だと思います」と山本教授は話す。

 残ったのはしなやかに、したたかに生きた人生をにじませて綴った文学だけ。それは時代を超えて愛され、源氏物語は読み続けられて1000年を超えた。(田野陽子)

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