2009年01月17日(土) 13時22分
さよなら“ムーミン”! あぁ惜別の上野駅…奇跡の電機「EF55形」(産経新聞)
「ムーミン、ありがとう」−。17日午前8時、青い12系客車を連結したEF55形電気機関車が、JR上野駅をゆっくりと出発した。先月からさよなら運転が始まり、同駅に姿を見せるのはこの日が最後。丸みのある外観からアニメキャラクターの愛称が付いた人気者だけに、別れを惜しむ鉄道ファンが大勢詰め掛けた。18日の高崎発横川行きがラストランとなる。
■写真で見る■“ムーミン”を見送る大勢の鉄道ファン
午前7時49分、EF64形電気機関車に牽引された臨時快速「さよならEF55碓氷号」が13番ホームに入線。横川駅方面の先頭となる最後部に連結されたEF55の姿を一目見ようと、ホーム終端部に鉄道ファンが一気に押し寄せた。千葉県市川市から来た製造業の男性(73)は「戦前の絵本に出る花形電車だった。東海道線から(上越線などに)回された60年くらい前に一度見ているので、とても感慨深い」と寂しそうに見送った。
JR東日本高崎車両センターがまとめた資料などによると、EF55は昭和11年に3両製造され1両だけ現存。東海道線で特急「つばめ」「はと」を牽引(けんいん)するなど活躍した。
一方、流線形の車体を取り入れたことで、本格的な運転台が片側のみとなり、終点の折り返しで転車台(ターンテーブル)が必要になるなど使い勝手が悪く、東海道線での運用を外れて39年までに相次ぎ廃車に。
解体を免れた1号機が旧国鉄の研修施設・中央鉄道学園(東京都国分寺市)を経て、高崎第2機関区(現高崎機関区、群馬県高崎市)で静態保存されることになった。
53年10月に準鉄道遺産に指定。機関区の一般公開で一風変わった外観が注目を集め、愛好家の要望に応える形で自走できるよう復元する計画が持ち上がった。61年6月に営業線を走るのに必要な車籍が復活し、7月25日に上越線高崎−水上間で28年ぶりに営業運転を再開して以来、イベントに欠かせない存在だった。
消耗する代替部品の調達が困難になったことなどが今回引退する理由。JR東は鉄道博物館(さいたま市大宮区)での永久保存を含め、今後の保存場所を検討しているが、すぐには廃車にせず車籍を残すとしており、リバイバル運転が可能性がある。
■機関区の意地、国鉄末期に“奇跡の復活”
EF55が復活した時期は、膨大な赤字を抱えた国鉄末期だった。高崎第2機関区は増収策として、構内に「電気機関車館」を設立する壮大な構想を打ち出していた。目玉となるEF55の復元は、ベテラン技術者を中心に特別チームを編成して挑んだ。
保存状態は良かったとはいえ、引退から既に四半世紀が経過。車両外観の点検、部品の解体など作業は慎重を極めた。機関区セールスセンターの職員が残した解体調査報告を読むと、技術者たちの当時の苦労が伝わってくる。
「大歯車は緩衝バネ当金の割損が多く交換」「ギア部分及びチェーン滑車軸の腐蝕、固渋があり、分解加修した」「台枠溶接部にキレツがあり加修」「横窓室内側板は一部取り替えた」(「Rail Magazine」1987年7月号から)−などとある。
セールスセンターとは国鉄末期に増収に努めるために設けられた部署で現在は存在しない。技術系だった機関区職員が乗車券の販売や臨時列車の企画など営業活動を行っていたという。
60年6月30日、営業線に先駆け初の構内運転を実施。「参列した国鉄OBは『なんてすばらしいことだ。本当に動いた。夢を見ているようだ』と涙ぐみながら手を握り合って感激に身を振わせていた」(同)。後に鉄道ファンの間で“奇跡の復活”と呼ばれることになる現場は感動に包まれたという。
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