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2009年01月17日(土) 13時06分

不況に負けない…震災から復活、新たな苦境に立ち向かう読売新聞

 6434人の命を奪った阪神大震災から丸14年を迎えた17日、被災地では遺族や被災者が、亡き人々に鎮魂の祈りをささげ、過ぎ去った年月に思いをはせた。

 世界的な不況の「強風」が吹き付ける中で、震災後を耐え抜いてきた経営者らは「不況になんか負けてられへん」と苦境に立ち向かっている。

 ◆どん底、はい上がった◆

従業員と製品の打ち合わせをする久保篤司さん(中央)=金沢修撮影

 神戸市長田区の靴資材卸会社「久保」では、経営者の久保篤司さん(44)がパソコンの画面に向かい、昨年末から2割減となった受注の数字をにらみつけた。震災で焼け落ち、やっとの思いで復活させた会社にも、不況の暗い影が忍び寄る。

 14年前。火災が長田を襲い、地場産業である合成皮革を素材にしたケミカルシューズ業界は壊滅的な打撃を受けた。篤司さんの父勝則さん(75)が経営していた会社も焼け落ち、建物も在庫も一切を失った。

 勝則さんは、残った社員ら数人と事業を再開しようとしていた。がれきの中を毎日、会社近くの仮設事務所に徒歩や自転車で通う社員たちの姿に、当時、大手メーカーに勤めていた篤司さんの心が動いた。

 「どうなるかわからない会社のために、みんな頑張っている。守りたい」。篤司さんは翌年5月、勤務先を辞め、神戸に戻った。

 エンジニアだった篤司さんには初めてのことばかりだったが、社屋用の土地探しから始め、メーカーを訪ね歩いては取引先を探した。やがて事業は軌道に乗り、今では年商8億円以上を売り上げるようになった。

 「厚底ブーツ」などの流行にも恵まれ、ケミカルシューズの街全体も奇跡的な復活を果たした。今また、不況で厳しい状況に直面するが、篤司さんは言う。「協力し合ってどん底からはい上がってきた。今、へこたれてはいられません」

 ◆「社員は財産」また雇用守る◆

社員と一丸となって頑張ることを誓う田中保三社長=金沢修撮影

 神戸市長田区で経営する自動車部品卸会社「兵庫商会」の事務所や倉庫計6棟のうち5棟を焼失した田中保三社長(68)は、会社に隣接する御蔵北公園であった慰霊祭に参列し、手を合わせた。

 あの日、田中社長は焼け落ちた建物の前で、「どん底とはこれか」と思った。しかし、無事だった社員43人全員の顔を見ると不思議と力がわいた。「モノはなくなったが、人がいれば何とかなる」

 約10日後、焼け残った倉庫で営業を再開。「全員で会社を立ち直らせる」という田中社長の決意に社員はまとまった。2か月後には前年並みまで売り上げを戻し、震災から10年で新社屋も完成した。

 この不況で自動車業界は未曽有の不振にあえぎ、同社も取引先からの受注が減った。だが、田中社長はどんなに苦しくなっても社員を解雇するつもりはない。「会社の財産は社員。そのことを震災で学んだ」からだ。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090117-OYT1T00413.htm