2009年01月17日(土) 09時11分
<阪神大震災>被災14年 7千本の灯ろうに「希望の灯り」(毎日新聞)
6434人が犠牲になった阪神大震災の被災地は17日、発生から14年の朝を迎えた。あの日の傷跡を街に見つけるのは難しい。平成生まれが新成人となり、震災を知らない世代も増えた。その一方で、震災で後遺症を負った「震災障害者」の多くは十分な支援を受けられず、暮らしの不安を訴えている。隣国に目を転じると、昨年5月の四川大地震の被災地では、いまだに多くの被災者が仮設住宅で暮らす。本当の「復興」とは何か。国境や世代を超え、教訓をどう伝えるのか。震災は多くのことを問いかけ続けている。【震災取材班】
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神戸市中央区の東遊園地では、同市などが主催する「阪神淡路大震災1・17のつどい」が開かれ、早朝から約5500人(午前7時現在)が訪れた。週末で好天にも恵まれたためか、昨年より約1000人多かった。
「1・17」の形に並べられた約7000本の竹灯籠(とうろう)に、公園内の震災モニュメント「1・17希望の灯(あか)り」の炎が移され、風に揺れる炎が夜明け前の空を赤く照らした。地震が発生した午前5時46分、参加者は静かに黙とう。犠牲者への祈りをささげた。
続いて犠牲者の名前を刻んだ「慰霊と復興のモニュメント」前で、遺族代表として、母親(当時62歳)を失った神戸市嘱託職員、田中千春さん(53)=同市東灘区=が追悼のことばを述べた。田中さんは避難先で被災者同士が助け合ったことを振り返り、「人間にとって何が一番大切かを学ぶことができた。この震災を後の世代に伝えなければならない」と訴えた。
兵庫県などでつくる「ひょうご安全の日推進県民会議」も、正午前から神戸市中央区の「人と防災未来センター」で「1・17のつどい」を開催。「1・17ひょうご安全の日宣言」が読み上げられ、参加者は、さらなる教訓の発信と防災、減災の取り組みを誓った。
また、西宮市役所などから人と防災未来センターまで歩く「1・17ひょうごメモリアルウオーク」も県民会議主催であり、参加者は復興した街並みを眺めながら震災当時を思い返していた。
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