2009年01月17日(土) 02時30分
<阪神大震災>娘亡くした62歳母、歩き出す(毎日新聞)
阪神大震災で一人娘を亡くした神戸市灘区の女性(62)が16日、同市中央区・東遊園地で、震災追悼行事の準備に初めてボランティアとして参加した。娘の後を追うことばかり考えていた日々から抜け出せたのは、自殺未遂の経験がある震災障害者との出会いがあったから。女性は震災の犠牲者6434人分の竹筒を一つ一つ並べながら誓った。「娘の分も生きよう。震災で苦しむ人にも手を差し伸べよう」【吉川雄策】
「ママ! 助けてー」
木造2階建ての自宅は震災で全壊。隣室から娘の絵理子さん(当時18歳)の叫び声が聞こえた。扉が開かない。「今行くから。待ってて」。何度も扉に体当たりした。叫び声は次第に小さくなった。約1時間後、ピアノの下敷きになっているところを救出されたが、既に息絶えていた。
「いつか田舎で、ヤギや牛と暮らしたいな」。王子動物園(同市灘区)を何度も訪れ、目を輝かせた。一方で裁判官を目指し、2、3時間しか眠らずに勉強する日も多かった。高校3年生。志望校の法学部の受験を間近に控えていた。
女手一つで育てた娘は、自分のすべてだった。心が折れた。震災で頭に負ったやけどを治療する気力さえわかない。震災から5年が過ぎたころ、大量の睡眠薬を自宅で一気に飲んだ。限界だった。しかし数日後、目が覚めた。「どうして絵理ちゃんのもとへ行かせてくれないの」。天をにらんだ。
震災から10年の05年1月17日。女性は東遊園地の追悼行事「1・17のつどい」の会場を訪れた。「今日で区切りをつけよう。娘のところに行こう」。カバンに睡眠薬300錠余りを忍ばせた。ろうそくの明かりを守るボランティア活動をしていた切畑輝子さん(69)=兵庫県西宮市=が、様子がおかしいのに気付き声をかけた。「大丈夫ですか」。カバンの中の睡眠薬を見つけた。女性は号泣した。
切畑さんは震災で自宅が全壊、頭を強打して左足に後遺症があり、入水自殺を図ったこともある。女性の「生きたい」とのシグナルを直感した。その場で女性を抱きしめた。
数日後、電話で女性に体調を尋ねた。「心と体が傷ついた姿が自分と重なった。妹のように思えた」。以後も連絡を重ね、女性は自分をさらけ出すようになった。「理解してくれる人にやっと出会えた」。女性は徐々に元気を取り戻した。
女性は07年3月、一人旅に出かけ、富士山を見た。「生きてて心地いい」と初めて感じた。毎日飲み続けた睡眠薬を、旅行中は一度も飲まなかった。小さな自信が生まれた。
◇「もう自殺は絶対にしない」
女性は16日、切畑さんに付き添われ、ろうそくを入れる竹筒を会場に並べた。腕には絵理子さんの形見の腕時計。絵理子さんが米国旅行で買ったものだ。喪失感や後悔の念がなくなることはない。でも一歩ずつ、前に進もう。「絵理ちゃんのためにも元気にならないと。もう自殺は絶対にしない」
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