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2009年01月17日(土) 18時33分

「北」後継者問題 本命は「新星将軍」の長男?産経新聞

 北朝鮮の金正日総書記(66)の長男、金正男(キム・ジョンナム)氏(37)が昨秋から一部の幹部の間で「新星将軍」と呼ばれ始めたとの情報が、北の人権問題に取り組む日本のNGO(非政府組織)にもたらされた。「将軍」の敬称が使われたとすれば、後継問題に直結する。一方、韓国の通信社は15日、「三男の金正雲(キム・ジョンウン)氏(25)が後継者に指名された」と報じた。双方を推す勢力の情報戦が激化しているとの見方もくすぶる。金総書記の健康問題を引き金に北の後継問題は本当に動き出したのか…。(桜井紀雄)

 ■正男氏が国内視察…「金総書記から承認」と説明

 「新星将軍」情報を入手したのは「RENK」(救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク=代表・李英和関西大教授)。RENKは北朝鮮内部に独自の情報網をもっており、これまでも内部映像や文書を多数入手している。

 今回は「複数の朝鮮労働党と朝鮮人民軍の幹部から北内部のRENK関係者が証言を得た」(李教授)という。

 それによると、正男氏は昨年11月中旬から北朝鮮東部の清津や羅先地区の行政施設や工場を相次ぎ訪問。この際、近くの複数の軍部隊も視察したという。

 視察には、金総書記の妹、金敬姫(キム・キョンヒ)軽工業相の夫で、朝鮮労働党を統括する党組織指導部第1副部長(行政担当)の張成沢(チャン・ソンテク)氏(62)が同行。視察は非公開とされたが、幹部らは「金総書記から承認を得たもの」と説明されたという。

 幹部らの証言では、視察中、正男氏は名前を直接表現することを避け、「新星将軍」というこれまで使われることのなかった呼称で呼ばれた。

 故金日成主席は「白頭山将軍」と呼ばれ、金総書記は後継者に指名された1974年と前後して白頭山の「光明星」と称された。

 金総書記には、成恵琳(ソン・ヘリン)夫人=2002年死亡=との間に生まれた正男氏のほかに、在日朝鮮人で北に帰国した高英姫(コ・ヨンヒ)夫人=04年死亡=との間に生まれた次男、正哲(ジョンチョル氏(28)、三男、正雲氏の3人の息子がいる。

 だが、3人とも次期指導者を指すような「異名」で呼ばれた事実はこれまで確認されておらず、正男氏が本当に「新星将軍」と呼ばれ始めたなら、重大な変化が起きていることになる。

 ■実力者の叔父の後ろ盾…中国人脈も後押し?

 正男氏は01年5月、日本に不法入国し、強制退去処分となった。日本の公安当局や韓国情報当局によると、正男氏はその後、マカオを拠点に中国や欧州で活動していたとされる。このため、「正男氏が後を継げば国が食われる」と陰口をたたく軍幹部もいたという。

 RENKが今回得た情報では、この不在期間について、幹部らは「先進技術を学ぶために数年間、海外留学なさっていた」と説明を受けた。正男氏に批判的だった軍幹部までが雪崩を打ってこの「海外留学」という説明とともに正男氏の話題を口にし始めたともされる。

 この変化を、李教授は「張成沢氏の後ろ盾によるところが大きい」とみる。

 韓国情報当局のこれまでの分析によると、張成沢氏は金総書記からの信任が厚く、“ロイヤル・ファミリー”の代弁者として強い発言力がある。

 加えて、金総書記が脳卒中で倒れたとされる昨年8月以降、緊急事態を取り仕切る意味から張成沢氏本人の名義で次々に経済政策を発令。軍部の大きな財源だった貿易や国内市場の取り締まりを強め始めた。

 李教授は「軍部の財布を取り上げ、権力を高める政策であり、10月中には党中央の実権を張成沢氏が掌握したのではないか」とみる。

 中朝関係者によると、正男氏は中国内の人脈が広く、「ていねいな人柄から中国での人気は高い。強制退去で後継者の芽がなくなったわけでなく、後を継ぐなら正男氏と目されてきた」(関係者)という。

 経済を中心に北が中国依存を強めるなか、「世襲なら中国式市場経済に通じた正男氏」という中国側の思惑も透けてみえる。

 ただ、李教授は「名前が国内に浸透するにも少なくとも1年はかかり、先行きは不透明だ」とも指摘している。

 ■金総書記が寵愛した正雲氏…ベールに包まれた存在

 一方、韓国の聯合ニュースは15日、「金正日総書記が三男、正雲氏を後継者に指名し、決定を党組織指導部に伝えた」と報じた。

 連合ニュースが「ある情報筋」の話として伝えたところによると、金総書記が今月8日ごろ、正雲氏の後継者決定を示し、李済剛(イ・ジェガン)組織指導部第1副部長(党中央担当)が課長級以上の幹部を緊急召集し、決定を伝えたとされる。

 聯合電は、「情報が急速に広まり、幹部も驚いている」との情報筋の話を報じた上で、「昨年、脳疾患で倒れた金総書記の焦燥感によるもの」と分析している。

 韓国紙によると、正雲氏は、90年代に兄の正男、正哲両氏同様にスイスのインターナショナルスクールに留学。帰国後は、金総書記の軍の視察に同行することもあった。

 体形や性格まで自分に似ていることから金総書記が最も愛情を注ぎ、「(正雲には)リーダーシップがある」と評したとされるが、逆に「根っからの遊び人でダメだ」と評したとも伝えられている。3人の息子の中では謎の部分が最も多い。

 一方で、金総書記が昨年9月9日の建国60周年式典に姿を現さず、「金総書記が脳卒中で倒れた」との情報が世界中を駆けめぐった数日後に、韓国の中央日報が「金総書記が倒れたのは、正雲氏が重体に陥ったと聞き、ショックを受けたため」と報じたのをはじめ、韓国では、正雲氏が不治の病にかかったとの情報が浮上。専門家の間では「正雲氏の後継者化の可能性は消えた」との見方も出た。

 韓国情報当局者は「正雲氏の後継指名を裏付ける動きは全く認められない」と指摘。「これまで後継者をめぐる動きは何度も取りざたされており、そうした情報のひとつではないか」と静観の姿勢だ。

 ■権力争い激化?…共同社説には「飛躍の駿馬が準備」

 3人の息子の後継者浮上はこれまで幾度となく報じられてきた。

 儒教の影響から長子相続の伝統が根強い北朝鮮では、世襲とすれば、3代目は正男氏とみられてきたが、強制退去以降、「正男氏は後継レースから脱落した」という分析が広まった。その時期から韓国紙を中心に頻繁に報じられたのが次男、正哲氏の後継路線だ。

 「中国の胡錦濤国家主席の訪朝晩餐(ばんさん)会で正哲氏が紹介された」「金日成主席、金正日総書記とともに正哲氏の写真が党幹部の執務室に掲げられた」…。

 母親の高夫人を「尊敬する母上」と偶像化する内部文書が確認されたこともあったが、正男氏後継に反発する軍強硬派が独断で文書化した可能性が高く、韓国メディアは、“お家騒動”を嫌った金総書記が幹部らに後継問題への言及を一切禁じたと伝えていた。

 金総書記自身、「70歳まで後継者を指名しない」と語っていたとされる。

 だが、李教授は「金総書記の病気がいつ再発するか分からない事態に後継準備作業に入らざるを得なくなったのではないか」と分析する。

 聯合ニュースが正雲氏の後継指名を伝えたとする李済剛氏は、正男氏の「後見人」とされる張成沢氏と同じ組織指導部第1副部長の要職にある。このため、正男、正雲両氏の後継候補への浮上は、正男氏を推す張氏のグループと、その動きを牽制(けんせい)し高夫人の息子を推挙する李氏ら軍部との権力争いに伴う「熾烈な情報戦」が行われているとの見方もできる。

 幹部内で後継者の情報が飛び交い、それが外部に漏れる状況は、北朝鮮の情報統制にほころびがみえ始めたことを物語っているのか。それとも、意図的に情報がリークされているのか…。

 元旦付けの朝鮮労働党の機関誌「労働新聞」など3紙共同社説には、こんな表現も登場した。

 「われわれには新たな進軍を生むための駿馬(しゅんめ)が準備されている」

 「駿馬」は何を指すのだろう。各国情報機関の情報精査・分析も活発化する。

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