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2009年01月17日(土) 15時49分

阪神大震災14年 芦屋で2児亡くした米津さん 弟が背負う形見のランドセル産経新聞

 ■語らねば あの子らの生を

 兵庫県芦屋市の津知公園で17日早朝、家族とともに黙祷(もくとう)をささげた福井市の会社員、米津勝之(かつし)さん(48)は阪神大震災で亡くした2人の子供に心の中で語りかけた。

 「あなたたちの思いを背負って生きていく」

 米津さんは当時、芦屋市で被災。自宅のアパートが全壊し、市立精道小1年だった長男の漢之(くにゆき)君=当時(7)=と同小に入学予定だった幼稚園児の長女、深理(みり)ちゃん=当時(5)=を失った。

 仕事で今は福井市に住む米津さんは昨年10月、震災後に生まれた次女の英(はんな)さん(11)と次男の凛君(6)が通う同市内の小学校で、児童800人と保護者らに自らの体験を被災地外では初めて話した。

 「自分が語らなければ」と思ったのは震災1年半後から約3年間過ごした東京での生活がきっかけだった。被災者がほとんどいない東京では職場の同僚にさえ「(震災のことは)わからない」と言われ、自分たちとの「温度差」を感じた。

 福井では震災自体を知らない子供も多い。「阪神大震災を知るきっかけになればいいし、被災地外との壁があるなら一緒に乗り越えればいい」と米津さんは言う。

 もちろん英さんと凛君は震災を直接知らない。兄と姉と触れ合ったこともない。それでも5年生の英さんは最近、将来の夢を「看護師か、お姉ちゃんが目指していた教師」と話すようになった。1年生の凛君は「お兄ちゃんのを使う」と、形見のランドセルを背負い、学校に通う。

 このランドセルは、つぶれた自宅から数週間後にほぼ無傷で見つかった。中に入っていたのはきれいに削った鉛筆や、震災当日の時間割にそろえた教科書。そして「せんせいあのね」で始まる日記帳だった。

 前日の夕方、家族でカレーを作った話がつづられた最後の日記は「あした、たべるのがたのしみです」と締めくくられていた。

 芦屋市から福井市に転居したのは昨年4月だったが、月命日の毎月17日にカレーを食べる家族の習慣は、引っ越し後も変わらない。

 「今ではランドセルもカレーも震災後に生まれた2人の人生の一部。2人の中に漢之と深理は生きている…」

 今でも2人の友人や報道などで知った人から年間約30通の手紙が届く。今年受け取った深理ちゃんの友人からの手紙には「大変なこともあるが頑張っていくから、深理ちゃん見守って」とつづられていた。

 「手紙を読み、講演したりすると、今はいない2人の子供の存在を感じる。残された家族4人でさまざまなメッセージを伝えていこうと思う」

 震災から14年。米津さんは語り継いでいく決意を新たにした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090117-00000123-san-soci