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2009年01月16日(金) 20時53分

神戸で歌を…震災直後にライブをした小田和正さん産経新聞

 阪神大震災の発生直後に被災地で青空ライブを開き、神戸を特別な思いで見つめる歌手がいる。元オフコースの小田和正さん(61)。「神戸で歌いたい」の一心で当時、被災地に駆けつけた小田さんは、その後も神戸を訪れるたび、ライブ会場となった被災地の公園を訪れる。「何ができることがあれば」。今も当時と変わらぬ神戸への思いを抱き続けている。

 平成7年4月3日。激震の生々しい傷跡が残る神戸市東灘区の御影公会堂北側の公園に、柔らかな歌声が響いた。

 「その手で望みを捨てないで/君住む街まで飛んでいくよ/ひとりと思わないでいつでも」(「君住む街へ」)

 この日ライブの告知は一切なく、観客は居合わせた被災者約200人。みな驚く間もなく、立ち尽くすように聞き入った。被災地の片隅でひっそりと行われた30分間のライブだった。

 小田さんは震災当日の朝、自宅で地震のニュースを知った。「死者2人」。テレビには速報とは、かけ離れた惨状が映し出されていた。「見た瞬間、2人なわけないなって。2人っていう数字が逆に被害の大きさを予感させて嫌だった」

 2月には全国ツアーの神戸公演を控えていた。だが、会場の神戸国際会館(神戸市中央区)は全壊し、中止となった。

 「何とか神戸で歌えないか。青天(野外)でもいいから」。被災地でのライブを提案した。「亡くなった人の中にチケットを持っている人がいたはずだと思った。何かやらなくちゃ、自分の気持ちの持っていきようがなかった」

     ◇

 大阪から神戸へ向かう車中で、被災地の風景を見た。「街並みが壊れ、それが放置され、日常になっている。実際に見ると、声も出なかったよ…」

 神戸で歌いたい。一方で、不安もあった。自分がここで歌うことにどんな意味があるのか。自分が被災者だったらどう思うか。そんな考えが頭をよぎった。

 「君住む街へ」を歌ったことはよく覚えている。「あまりに(状況に)ぴったりして嫌だなとも思ったけど、こういう時のための歌なんだろうなと思った」。

 みんな頑張ろう、とはいえなかった。「みんな、これからどうすんだろうなって」。帰りの車中は静まりかえっていた。

     ◇

 9年9月、小田さんは全国ツアーのスタートに神戸を選んだ。神戸国際会館が再建された11年には4年前の公演中止で、届けられなかった思いを歌に託した。

 その後も神戸に来ると必ず、あの公園を訪れる。「あそこで歌った。みんなにふれあった。公園に足を踏み入れると、思いがよみがえってくる。それを確かめるために」

 昨年4月に訪れたときは、桜が咲いていた。「いろいろ引きずる思いはあると思うけど、手のつけようもないようにみえたがれきが、復興してきれいになって、すごいことだと思う」。

 今も被災地の人は頑張っているに違いない。だからやはり頑張れ、とはいえない。「何かできることがあればいってほしいな」。君住む街まで飛んでいくよ−。被災地への思いは、14年前のあの日と変わらない。

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