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2009年01月16日(金) 16時06分

震災14年、被災者支援尽くした佐々木さん 「1・17」新たな灯産経新聞

 阪神大震災から丸14年となる17日、神戸市中央区の東遊園地で行われる「阪神淡路大震災1・17のつどい」で、犠牲者追悼のためともされるロウソクに今年、新たな1個が加わる。被災者支援に尽力し、昨年6月に53歳で亡くなった大阪市住吉区の佐々木康哲さんのロウソク。がん闘病中も支援を続けた佐々木さんへの感謝を込めて被災者らが特別に作り、犠牲者追悼のロウソクの側にともして祈りをささげる。

 佐々木さんは震災直後、食料と服を背負い、自宅から被災地へ歩いて向かった。直前には、仕事を辞めてつきっきりで看病していた妹を亡くしていた。「姉を看(み)取った後、『生きてるうちに何かせなあかん』が口癖になった。困っている人を放っておけなかったのでしょう」と末の妹の藤原直子さん(48)は言う。

 「施すのではなく一緒にやろう」を信念に息の長い支援活動を続けた。食材や包丁などを提供して被災者自身に食事を作ってもらい、その自信を呼び覚ました。さらに「被災直後はがんばれるが問題はその後」と、高齢者宅の訪問を続けた。西宮市で被災した切畑輝子さん(69)も佐々木さんに支えられた一人だ。「今は相談できる人が誰もいなくなった」と肩を落とす。

 佐々木さんは1999年のトルコ大地震、その翌年の東海豪雨と活動の場を広げた。だが平成18年9月、肺がんで年は越せないと告知される。それでも翌19年の1・17のつどいに参加するなど最後まで被災者に寄り添った。逆に佐々木さんのもとには神戸や愛知から被災者らが看病や見舞いに訪れた。

 昨年暮れ、つどいのロウソク作りにも参加する切畑さんらが作った黄色いロウソクが直子さんのもとに届いた。「兄にまた出会いたい」。直子さんは佐々木さんのロウソクがともされる今年のつどいに、初めて参加することを決めた。

 東海豪雨の被災地では、佐々木さんがかかわった高齢者宅訪問が今も続く。直子さん自身も震災の支援活動を記録するボランティアを始めた。「兄が死者につき動かされたように、私もまた兄につき動かされているのでしょう。死者は逝ってなお、生前の輝きを放つことを実感しています」

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